惑星ダルの日常(goo版)

(森下一仁の近況です。タイトルをはじめ、ほとんどの写真は交差法で立体視できます)

トンネル見学会など

2010-02-21 21:23:00 | 日記・エッセイ・コラム
 ちょっと慌しい日が続いております。一昨日は版元さんとの打ち合わせ。昨日はトンネル見学会と「筒井康隆、筒井康隆を読む」。

 トンネル見学会は、地元で京王線立体化工事が行なわれていまして、将来、線路を通すために掘削しているシールドトンネルを見せてくれるというもの。
 そうそう機会があるものではないので、工事中のトンネルを見せてもらいに出かけました。

Tunnel1002希望者多数のため、1時間並んでやっと整理券を入手し、後刻あらためて出かけるはめになりましたが、頑張って見に行った価値はありました。
 写真のほか、ニコニコ動画にムービーを投稿してありますので、よろしかったらご覧ください。

 トンネルを抜けた後は、成城学園の成城ホールへ出かけて「筒井康隆、筒井康隆を読む」公演を観ました。

 筒井さんが舞台で何かやるのは、これが最後だとか。自作朗読は「昔はよかったなあ」と「関節話法」
 上山克彦さんの一人芝居「陰悩録」(声の出演:白石冬美+筒井康隆)、それに山下洋輔さんのピアノ演奏「枯葉」、「Things Ain't What They Used to Be」、「組曲・筒井康隆全作品」という盛りだくさんの内容。あ、そうそう、アンコールも凄かった。

 筒井さんは「関節話法」の朗読では全身の関節を曲げたり、台の上から飛び降りたり、舞台に転がったりと大奮闘。ハラハラしながらも、存分に笑わせていただきました。こんなものが観られるなんて、なんという幸せ。
 舞台がはねた後、ちょっと楽屋に寄って一言ご挨拶。後は新井素子さんらにおまかせしてそそくさと退出しました。

 「ベストSF2009」に新たな投票――

 これで10人となりました。小泉さん、ありがとうございます。
 1週間後が締め切りです。皆さんもこぞってどうぞ。

ゾーン

2010-02-18 20:40:19 | スポーツ
 決勝となるとリキんでしまうんですね。冬季五輪、スノーボードのハーフパイプ競技。
 国母くんも青野くんも予選の時のような調子で出来ればよかったのに……。

 人間の心と体の関係は不思議だなあと思います。うまくやろうと思うとかえって失敗してしまう。

 スポーツ選手が感じるという「ゾーン」状態に入れば良かったんでしょうけれどねえ。

 すごくレベルの低い話なんですが、かつて私もゾーン体験めいたものをしたことがあります。
 中学では卓球部に入っていたのですが、他校との対抗試合に出た時のこと。なぜか体がとてもよく動き、ピンポン球もよく見えました。どんどん打ち込める。それまで成功したことのなかったバックハンドのスマッシュも決まったりしました。
 先輩が「良くやったな」と言ってくれましたが、自分でも驚いていました。

 あの時の状態をずっと追究していれば、もっと上達していたのでしょうが、それが出来なかったということは、努力も集中力も足りなかったということなのでしょう。
 でも、今でも、あの時感じた全能感のようなものを思い出すと、体が震えそうになります。

 こんなアンドロメダ銀河の写真を見たのは初めて → 広域赤外線探査衛星「ワイズ」が撮影したアンドロメダ銀河(NASA)


冬季五輪

2010-02-17 21:39:38 | スポーツ
 盛り上がってきましたね~。
 時差の関係で朝から生中継しているのが困ります(半分、喜んではいるのですが)。

 自由業なので、日中、家にいて、時間の使い方は自由。
 だもので、ついつい観てしまうんですね。

 昨日はスピードスケート男子。今日はカーリングとフィギュアスケート男子ショートプログラム。
 ぴったりテレビの前に張り付いているわけではなく、良い場面が来たら居間から呼んでもらうのですが、机の前にいてもなんだか気持ちがそわそわしています。

 今日のカーリング、対アメリカ戦。最後にメジャーでの測定にまでもつれこんでしまった時、「私、ガッツポーズしちゃったんだけど……」とつぶやいていたチーム青森の選手は誰なんでしょう?
 ガッツポーズを取り消さなくてすんで、本当に良かったですね。
 明日のカナダ戦も頑張ってください。いかんながら、その時間、私は寝ていると思いますが。


浅倉久志さん

2010-02-16 20:32:21 | ひと
 14日、午後7時、心不全のため亡くなられたそうです。享年79。

 浅倉さんが翻訳をなさってなかったら、日本の翻訳文化は今とはまるで違っていたのではないかと思います。読書好きの人たちにとって、本を手に取るためのひとつの目安として「浅倉久志」の名があったのではないでしょうか。

 初めてお目にかかったのは、たぶん1971年か72年。私が大学生の頃でした。「ディックとヴォネガットが好き」と、いつも口にしていたので、伊藤典夫さんが「今度、浅倉さんとこへ行くけど、ついてくるか?」と誘ってくださったのでした。
 横浜の団地に着いたものの、どの部屋だかわからなくて、伊藤さんが「大谷さ~ん!」と呼びながら庭を歩いていったことを思い出します(「大谷」は浅倉さんの本名)。
 確か、窓際の廊下の端っこを書斎がわりにしていらしたのではなかったかな。「ここでディックやヴォネガットが訳されるのだ!」と思いながら、洋書などを見せていただいたものでした。

 次の大きな思い出は、1984年にカート・ヴォネガットが来日した時のこと。〈SFマガジン〉に載るインタビューをさせてもらうことになり、浅倉さんも一緒に新宿西口の京王プラザホテルを訪ねたのでした。
 今、思い出すと、信じられないような至福の時だったのだなあ……。

 ライバー、ティプトリー・ジュニア、ジョージ・A・エフィンジャー、ラファティ、ジャック・ヴァンス、それに大事な大事な『ユーモア・スケッチ傑作展』……多くの宝物を浅倉さんにはいただきました。どうもありがとうございました。
 きっとあちらでも、律儀に原書4ページを毎日、訳しておられるのではないかな。


ねんこんババ

2010-02-15 21:38:30 | まち歩き
 我が町の文化会館で「名誉市民水木しげる展」なる展示が行なわれています。昨日、散歩の途中で見てきましたが、大変に面白い。
 水木さんに関することって、なんだか気持ちが楽になるんだなあ。

 妖怪のブロンズ像やフィギュア、マンガなどはもちろん、水木さんの生い立ちや経歴を物語るものが数多く並んでいます。中では、ご自身がこれまでの人生を絵にした「人生絵巻」がいちばんの見ものでしょうか。

 言葉を発するのが遅かったことが、そこに描かれていて、4歳にして初めてしゃべった言葉が「ねんこんババ」だったというのです。
 「ねんこんババ」は「猫の糞」のこと。「猫ババ」なんですね。

 どういう状況だったのかよくわかりませんが、我が子がやっとしゃべったかと思ったら、それが「猫の糞」だったというのでは、親は驚いたでしょう。
 ただ、水木さんの親御さんはなかなか愉快な方たちだったようですから、面白がったのではないかとも思われます。

 この展示は3月22日(月)まで。入場無料です。