惑星ダルの日常(goo版)

(森下一仁の近況です。タイトルをはじめ、ほとんどの写真は交差法で立体視できます)

蟄居

2021-03-21 19:41:41 | 日記

 今日は雨に降りこめられた格好。まったく外出せずに過ごしました。
 たいがい雨でも散歩はするんですが、今日は風が強く、カッパでも着ないことには下半身がずぶ濡れになりそうなので躊躇しました。
 根性なしです。

 読書(仕事)の合間には、気分転換にパソコンのお勉強。
 ためこんでmpeg3の整理をするため、タグ編集ソフトをダウンロードしたり、それで得たデータをエクセルで処理してみたり。

 エクセルはこれまで数値計算にしか使っていませんでしたが、文書のかたちを整えるのにも便利ですね。
 少しは上達した気分。


畝の計画

2021-03-20 20:50:44 | 市民農園

 来月から使える市民農園。
 大きさは、縦5メートル、横3メートルの長方形なのですが、ここに畝をどう立てるか思案中。

 多くの方は、横方向に5本の畝を立てています。私は、前回、縦に3本、畝を立てました。
 なんとなくそうしたのですが、特に問題はなかった。
 今回はどうするか?

 縦と横を組み合わせるプランはどうかと思い、方眼紙に計画図を描いてみました。
 種類の多い野菜を少しずつ作るには良さそうですが、具体的にどの品種をどこでどう作るかを考えると、果たしてこれで良いのか?
 いましばらく頭を悩ませる日々がつづきそうです。


同性婚

2021-03-19 20:51:12 | ニュース

 昨夜は古くからのSF仲間「一の日会」のZOOM例会を楽しんでおりました。

 2日遅れの話題となりますが、一昨日(17日)、札幌地裁が「同性婚を認めないのは憲法違反」とした、武部知子裁判長の判決文に感動しました。
 全文をネットで読むことができますが、ここにはごく一部を引用しておきます。

 異性愛者と同性愛者の違いは、人の意思によって選択・変更し得ない性的指向の差異でしかなく、いかなる性的指向を有する者であっても、享有し得る法的利益に差異はないといわなければならない。そうであるにもかかわらず、同性愛者に対しては、婚姻によって生じる法的効果の一部ですらも、これを享受する法的手段が提供されていない。

 明快です。

 私にとって、同性愛について考える大きなヒントになったのは、学生時代、専攻していた心理学関係の論文で、戦時下のドイツで強いストレスを受けた母親から生まれた男児にゲイの割合が高かったと知ったことだと思います。胎内で、特定の時期にホルモンの増減があることが影響しているという研究でした。

 以来、人間だけでなく、動物全体の性についても見聞きすることで、この問題については考えるところがありました。
 今回、この判決が出たことで、社会が目指すべき方向がはっきりしたと思います。

 性にはやっかいな問題が絡んでおり、まだまだ深く考えるべきことがあります。SFはそのための有効な媒体になるのではないかと思っています。たとえば、ル=グインの『闇の左手』のように。


彼岸の入り

2021-03-17 21:03:09 | 季節

 今日は春の彼岸の入り。

 太陽の軌道が高くなり、部屋に差し込む陽射しは冬に比べるとかなり減ってきました。
 それで、室内で育てているパプリカとミニトマトが日照不足にならないよう、昼間はベランダへ出すことにしたのですが、朝方はまだ冷え込むので出しっぱなしというわけにもいかず、夕方にはまた室内へ取り込むことに。
 鉢が25リットルぐらいの大きさなので、移動がちょっと大変。支柱を立てているので、窓枠などにぶつからないようにと気を遣うのも面倒です。

 もっと暖かくなり、早く、外へ出したままにできますように。

 夕方、植物公園の予定地(一時的に公園になっています)を歩いていると、大きなハクモクレンの木が花をいっぱいにつけていました。

 夕暮れの空気の中、このあたりだけに明るい光が残っているかのよう。
 しかし、花はそろそろ盛りを過ぎようとしていて、花びらがはらはらと散っていました。


「中川平一風景画展」

2021-03-16 21:15:26 | アート・文化

 朝は曇ってちょっと肌寒かったけれど、午後になると5月上旬なみという暖かさ。最高気温 21.6℃(隣町アメダス)。

 たまった雑用を片付けるために外出。郵便局、市役所、中央図書館などをまわりました。
 ひととおり用事がすんだところで、文化会館1階展示室へ。「中川平一風景画展ー調布を描いて55年ー」が始まっているのです。

 本来は昨年の4~6月に予定されていたのが、コロナのために延期され、今月13日から5月9日(日)までの日程で開催されることに。いろいろなことがウイルスに翻弄されています。

 中川先生は我が街の風景を描いて半世紀あまり。日頃、なにげなく見過ごしている場所に目を留め、キャンバスに記録してくれています。その風景画からは過ごしてきた生活の記憶が鮮やかに立ち昇るのです。
 今回も、見ていて「ああ、そうそう。ここはこうだった」という風景がいくつも。こんなふうに街の記録を残してくださる画家がいて、本当にありがたい。

 写真ではなく、絵だからこそ蘇る「空気」があるんですよねぇ。