3週間ほど前、出身高校の首都圏地区同窓会があった。この同期会は還暦を機会に数年前に始められ、ほぼ年一回のペースで行われている。
私の出身高校は小中高連続の京都の学校であり、大部分の生徒は小学校から進学するが、一部中学・高校で学力試験による編入があった。私は中学からの編入組だった。田舎の小学校から都会の中学に入学した私を驚かせたのは女生徒たちの華やかさ・明るさだった。その中のある女生徒に対し私は強い憧れを抱いたことがあった。憧れといっても一緒にしばらく話がしたい・・・という程度のものなので、それを恋というのかどうかわからないが、一応私の中ではそれを初恋と整理している。そして残念なことにそれは片恋と整理せざるを得なかった。
ほぼ半世紀ぶりにその片恋の相手を同期会で見かけた。その人は今も元気にある分野で活躍を続け溌剌としていたので、私は中学生の自分の審美眼?が正しく、また片恋の諦めぶりもgood looserだったな、とちょっと満足した次第である。
私は片恋の終わりは3つあると考えている。一つはsour grapes型。もう一つはgood loser型。最後は忍ぶ恋型である。
Sour grapes(酸っぱいブドウ)とはイソップ物語にでてくるキツネとブドウの話に由来する。いくらジャンプしてもブドウに届かなかったキツネは「あのブドウは酸っぱいに決まっている」と悪口を言って立ち去る。Sour grapesは「負け惜しみ」の意味で別の英語でいうとbad loserだ。
Good loserはbad loser=sour grapesの反対。つまり負けを潔く認め、負かした相手の悪口を言わない態度だ。
最後の「忍ぶ恋」には少し説明がいるだろう。片恋は必ずしも忍ぶ恋ではない。思いのたけを相手にぶつけてあっさり断られる場合も多いからだ。だが忍ぶ恋は必ず片恋である。
武士道を説いた「葉隠」の中に忍ぶ恋を称賛する一文がある。
つまり生涯片恋を大事にするのが究極の恋、という訳だ。前段で片恋の終わりは3パターンあると書いたが、「忍ぶ恋」は生涯思い続けるので「終わりなし」というべきかもしれない。「忍ぶ恋」については「そうかな」と思うところもあるが、メールや携帯電話など思いのたけを相手に伝える多様な手段を簡単に利用できる現代にはそぐわない気もする。むしろ「思い死するこそ恋の本位なれ」などというとストーカーを助長する危険思想と思われるかもしれない。
Sour grapes型つまり「俺という良い男を理解しないあいつはつまらない奴だ」的な断念の仕方は結局自分の初期判断能力の低さを自ら認める結果になる場合が多い。
私はその人と親しい友達になることができなかったが、それは縁の問題ないし当時のお互いの関心の持ちどころの違いと整理しgood loserとなった(当時はそんな言葉は知らなかったが)。
珍しく個人の古い話をしたが、すべてのものごとにはbad loser・good loser・忍ぶ恋型の対応があると思う。たとえば若い頃やりたかったかったけれど、時間がなくてできなかった趣味を退職後楽しむのは「忍ぶ恋」型の健全な利用方法だろう。ただしbad loser型の対応には自分の心の中や仲間内で溜飲を下げるという効果はあるが、概ね建設的な結果をもたらさないと私は考えている。