NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を観ています。中々面白いドラマですが、ドラマはドラマ。フィクションが沢山入っています。新垣結衣演じる八重もフィクションでしょう。
さてフィクションはフィクションとして、この際北条義時の実像を少し勉強しようと思って近くの図書館に幾つかの資料を請求しています。
ところが同じようなことを考えている人が多いようで中々借入の順番が回ってきません。そんな中最近ようやく回ってきたのが「史伝 北条義時」(山本みなみ 小学館)です。
この本の中で私が強く興味を覚えたことは「鎌倉殿の13人は大半60歳前後だった」ということです。
何人かについて具体的に説明しましょう。
2代将軍頼家が将軍の座についてすぐ始まった13人の合議制ですが、その時の年齢は義時の父北条時政が62歳、ドラマでは佐藤B作演じる三浦義澄は73歳で13人の中の最長老です。他に60代の人は二階堂行政、三好康信、安達盛長、足立遠元がいます。時政と三浦義澄を加えて6名が60代以上です。
50代は中原親能、大江広元、梶原景時、比企能員、八田知家、和田義盛の6人です。ここに飛びぬけて若い北条義時(37歳)を加えて13名です。
正確な年齢が分かっていない人もいますが、頼家を支えたメンバーの平均年齢(中央値)は60歳前後だったといえると思います。
鎌倉時代の平均寿命はその前の平安時代(30歳)より少し短く20代中頃と推定されているそうです。おそらく戦乱が続いたので平均寿命が短くなったのでしょうね。
だが政治家として活躍するには年功が必要だったということをデータは示していると思います。ちなみに源頼朝は51歳で落命していますが。
致仕という言葉があります。70歳の別称です。これは中国で70歳になったら官職を辞任するという習わしがあり、辞任=致仕=70歳となった訳です。
江戸時代でも老中には70歳位まで頑張った人もいました。
現在の平均寿命は80代で鎌倉時代の3倍位になっていますが、政治家として脂がのってくる年齢にはそれほど差はないと思います。
長寿時代になっても総ての人がリアルの世界で政治家や経営者として手腕を振るうチャンスに巡り合うことはできません。手腕を振るうには小さくとも自分の国を作ってそこで自分のやりたいことをやる必要があるでしょう。
それが趣味の世界かボランティアの世界かは人によるでしょうが。
ただやってはいけないのは家庭を小さな国としてわがままをすることです。これは家族から総すかんを食いますね。
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