マスコミでは終活ブームが続いています。たまたま新聞広告で目にした6月4日号の週刊ポストには「『子供のために』その気配りで大失敗」が総力特集になっています。
実は明日Zoom講演でライフプラン談義を行うのですが、その入り口が終活ブームの話です。
コロナウイルス感染拡大で自宅籠りが続く中、終活は一種バブルの様相を呈しています。
しかし総てのバブルが終わってみれば中身の乏しい空騒ぎに過ぎないように終活ブームも多分にその傾向があると思います。
特に気を付けたいのは、葬儀とお墓の話です。
一般にエンディングノートなどで自分にふさわしい葬儀やお墓の希望を述べようとかお墓を事前に準備しましょうという話がもっともらしく語られます。
ですがこれは要注意です。
なぜならお葬式では残念ながら亡くなった人は最早主役ではありません。参列する人は実は遺族との関係を重んじてお参りする人が多いのです。
仏式の葬儀ではお坊さんがお経をあげますが、実はあのお経の本当の意味は、死者の霊を弔うことではありません。本当の意味は残された人に「人が死ぬということは自然の道理なので冷静に受け止めなさい」と言っているのです。
またお墓は残された人が故人を偲ぶ拠り所なのです。思い出を呼び起こす場所なのです。だから残された人たちが集まり易い場所が好ましいのです。
とんでもない山奥や遠くの海に散骨して欲しいというのは遺族の立場を考えない我儘というものでしょう。
世界的な大宗教は総てこの世での生き方を重視しています。敬虔なイスラム教徒にとって最高の葬礼とは、本人が苦しい旅を重ねてメッカに巡礼した時の巡礼衣を身にまとい、街はずれの粗末な墓地に静かに埋葬されることなのです。
つまり大切なのは巡礼という生きている時の敬神の行為なのです。
そう考えると終活ブーム、まして終活バブルに踊っていると影で振り付けを書いている人の思うつぼにはまり、好ましいEnd of lifeから遠ざかるのではないか?と私は不安に感じています。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます