昨日(9月4日)は相続学会の名古屋オープンセミナーの後、名古屋駅前モンブランホテルに泊まった。楽天経由で申し込んで一泊6,500円。セミナー会場(ウインクあいち)や名古屋駅に近いというロケーションと値段のバランスが良いので、名古屋の出張はここに泊まることにしている。清潔で良いホテルなのだが、難点は風呂が狭いこと。もっともこのクラスのホテルは皆同じようなものだが。
今日(9月5日)は晴天。予定どおり尾張一宮の真清田(ますみだ)神社を参詣に行くことにした。尾張名古屋で有名な神社は熱田神宮だが、熱田神宮は尾張三ノ宮で一の宮は一宮市の真清田神社である(偉そうに言ったが2,3日前に調べたのです)。
名古屋から尾張一宮へはJR快速であれば一駅20分程度。尾張一宮駅の北口をでて、しばらく歩くとアーケード街に突き当たるので、そこを左折した。
アーケード街の中にレトロな市役所の分庁舎があった。織物で有名だったこの街には、洒落た建物が残っている。
10分ほどで真清田神社到着。
立派な佇まいである。
御祭神は天照大神の孫の天火明命(アメノホアカリノミコト)だ。神武系の神様である。御朱印と一緒に頂いた神社の月刊誌?には宮司さんが中々勇ましいことを書いている。
「本年は、矛を収めて七十年の節目の年である。神社界では、靖国神社護国神社にお参りしましょうと、呼びかけを行っています・・・・七十年経っても、大東亜戦争という正式名称すら、国民の共通認識にまで至っていません。(連合国は)占領中に敵国家の基本法を変更してはならぬという規程違反を犯し、国情に合わぬ英語の翻訳憲法を強制しました。現行憲法であります。」
神社のように庇の深い建物を撮る時注意しないと庇の下が露出不足で黒潰れすることがある。そこで測光方式を「スポット測光」にして撮影。
神社で貰った尾張一帯の神社のマップをみると、2kmほど離れたところにある「大神(おおみわ)神社」も一の宮になっていることが分ったので、そちらも参詣することにした。風が爽やかなので、歩いていてもそれ程汗ばむことはない。
大神神社は閑静な住宅街の中にポツンと立っていた。
神社の由緒を見ると「大和系(三輪族)の人が大物主神を祀る大神神社を建て、先祖を祀り日々の安泰を祈った」とある。
古事記では大物主神(オオモノヌシ)は国譲りをする大国主神(オオクニヌシ)と協力して、豊かな国造りをする。だが大国主神は天孫一族に負けて国譲りを迫られ、出雲大社に祀られる。
この地域に天孫系(神武系)の真清田神社と大国主神系の大物主神を祀る両社がともに一の宮として祀られていることは、中々興味深い。勝手な推測をすれば、弥生時代から人々が住み付いていたところに新興勢力が進出してきて、真清田神社を作った。そして両者が尾張の一の宮として併存するようになった・・・・ということなのだろう。
ただし真清田神社に較べると大神神社は実に小さい。
「朱印を頂きたい方は社務所へ」という張り紙があったので、社務所に立ち寄り、声をかけると庭で草取りをしていた宮司さんが来て御朱印を押した紙を呉れた。中々気さくな宮司さんで私の朱印帳を見て「あちこち行っているね。大宮の氷川神社にも行っているね。でも武蔵一の宮は多摩の小野神社ですよ」と教えてくれた。
一般的には武蔵一の宮は大宮の氷川神社と言われているようなのでちょっとびっくり。
「ひょっとすると各地の一の宮は一つではなく、諸説あるのだろうか?」などと思いながら、人気のない境内を歩くと、大きな楠から蝉しぐれが降ってきた。
境内は広くはないが、清々しい風が吹いた。一の宮問題は次の研究課題である。
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