天台の国宝の仏像は皆素晴らしいが特に私が関心があったのは、毘沙門天である。もっと細かくいうと毘沙門天の中でも大地の女神「地天」に支えられた兜跋毘沙門天である。
では何故毘沙門天に関心があるのか?それは毘沙門天の由来がインドを越えてはるかギリシアまでつながるからである。毘沙門天はギリシアのヘルメス神と北インドの財宝を守るファロー神が融合したものという話は2年程前に国立博物館でやっていた「アレクサンドロス大王と東西文明の交流展」で勉強したところだ。
又この兜跋(トバツ)という言葉についてはベルナール・フランク「日本仏教曼荼羅」(藤原書店)の中で次の様に説明されている。「著名なチベット学者ロルフ・スタンによれば恐らくトルコ語のTubbatの音声表記であろうという。Tubbatとはトルコ語でトルキスタン特にシルクロードの重要な地点の一つであったコータン国とその首都をさす言葉であった。」
毘沙門天は本来北方を護る軍神であり、四天王の一員であったが、他の四天王とは異なり独立尊として信仰の対象となったのである。
中世を通じて仏教信仰が民衆の中に浸透していくに従い財の神、幸運の神としての性質が毘沙門天の中で重要性を増して行き、毘沙門天は江戸時代に完成する七福神の一員になって行くのである。
毘沙門天の像の中にはユーラシア大陸にまたがる壮大なロマンがある。