このところ旅が続いている。先週はカナダに行き、昨日から名古屋に来ている。
旅はいい。旅がよい理由の一つは本を読む量が増えることだ。
毎日のように仕事に行く必要がなくなったが、家にいると読書量が増えるか?というと必ずしもそうではない。
自宅にいると案外雑事に読書を妨げられることが多い。まず時々宅配便がくる。勧誘などの電話もかかってくる。
個人は思考を深める場所として故人は「馬上・机上・厠上」をあげた。馬上は揺れるので、読書の場所として適しているかどうかはわからないが、現在の「馬上」である列車や飛行機の中が、思索の場所のみならず読書にとっても最適の場所であることは間違いない。
私は旅に出るとき、軽い読み物と少し骨のある読み物の二種類を持って出ることにしている。軽い読み物としては、エッセーが多く、小説を持っていくことは意外に少ない。そもそも私の読書時間の中で小説に割く時間は少ない。なんとなく「作り事」に時間を割くことをもったいないと考えるところがあるのだと思う。
そんなことからノンフィクション作家の沢木耕太郎を読むことが多い。時には昔読んだ沢木のエッセー集をかばんに詰めていくこともある。
昨日は名古屋に向かう途中「チェーン・スモーキング」の中の「懐かしむには早すぎる」を読んだ。これはニューヨークに近いアトランティック・シティでカジノを楽しんだ沢木がニューヨークに帰る日の朝、記念にTシャツを買おうかどうか迷う話である。
今まで旅先で記念品など買ったことがなかった沢木は「なぜ自分がTシャツを買いたいという衝動にかられたか?」を分析する。
そして「自分が再びこの地を訪れることはないのではないか?」という思いが背景にあったことを発見する。
沢木はいう。「旅は、やはり、どこか人生に似ているんかもしれない。ある時までは人生にすべてが可能だと思っている。だが、やがて、できることとできないことがあるのを知るようになる。・・・・しかし歳を取るにつれて、行かれない土地というものがあることを知るようになる。」
しかし結局沢木はTシャツを買わずにショー・ウインドウの前を離れた。「確かにもう来られないかもしれない。しかし、だからといって、記念の品を持ち帰ってどこかに飾り、それを眺めながらかって行ったことのある土地を懐かしむのはまだ早い、と思えたからだ。」と彼は書く。
先週のカナダ旅行でワイフはちょっとシックなTシャツを買ったが、私は自分の記念になるものは一つも買わなかった。
「バンフにはまた来たい。特にスキーシーズンにはぜひ来てみたいものだ」という思いが、記念品などから足を遠ざけていたようだ。
旅読書は沢木耕太郎が良い。沢木の本を読んでいると時々彼の思いと自分の思いに共通する何かがあることを発見するので旅が楽しくなるのである。
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