詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

映画「間宮兄弟」

2006-06-19 22:03:21 | 映画
監督 森田芳光 出演 知らない役者、中島みゆき

 非常に不気味な映画だ。
 不気味さが一番くっきりあらわれたのが新幹線と雲(空)のシーン。間宮兄弟が東京から静岡(?)へ新幹線で帰る。新幹線で東京へ戻る。それを左から右へ、右から左へ走る新幹線の動きで描写している。そのときの雲、空の完璧な美しさが、まるで怪獣映画の雲と空のように見えてしまう。紺碧の空の奥に巨大なものが隠れている、というのではない。絵空事のように美しくてびっくりする。雲も、紺碧の空の色も、一瞬とも動かない、不同の美しさで輝く。その美しさの中を新幹線だけが動いていく。不気味としかいいようがない。
 この美しさに拮抗するように、あらゆる場面が美しい。特に間宮兄弟の部屋の整然とした美しさが印象に残る。あらゆるものがある。本来、そこにあるものが互いにぶつかりあい、収拾がつかないほど乱れるはずなのに、乱れず、整然としている。そればかりか、部屋の中で起きることによっても、何の変化もない。
 部屋の中に女友達が招かれる。パーティーが開かれる。そのときも、部屋の本棚、テーブルの上の調度品、ゲームさえも、一切動かない。何があっても、そこに存在するものは動かない。同じ部屋であり続ける。
 あたりまえのことだろうか。私には異常に見える。たとえば一冊の本。それは恋愛する前、恋愛中、失恋した後では同じ一冊の本では有り得ない。ところがこの映画では一冊の本どころか、間宮兄弟の部屋そのものが、まるっきりかわらない。「もの」は人間の感情には一切関係なく、同じものであり続けるという「信仰」のようなものが、ここでは具体化されている。これはこわい。不気味だ。そんな「信仰」など、私は信じたくない。
 その信仰を最初に書いた新幹線の描写と関連づけて書けば、新幹線が走る風景さえも永遠に変わらないという「信仰」がこの映画をささえていると言えるかもしれない。
 「もの」が普遍のものであるなら、「兄弟」という関係が普遍であってもかまわないだろう。いや、兄弟の普遍をものがささえるという映画がこの映画の狙いかもしれない。そしてそれが新しい「詩」だと主張しているのかもしれない。
 私はたぶん古い人間なのだろう。こういう主張には不気味さしか感じない。心は壊れても壊れても心であり続ける。乱れても乱れても心であり続ける。傷ついても傷ついても、というより、傷つくことができるからこそ美しいと思う。乱れず、変わらず、動かないものの世界によって成り立つ美など、どんなに完璧に描かれていても「幻」にすぎないと思う。


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映画「花よりもなお」

2006-06-18 22:07:24 | 映画
監督 是枝裕和 出演 岡田准一、宮沢りえ、香川照之

 30年ほど前の映画に「人殺し」というのがある。丹波哲郎が剣の達人。松田優作が、丹波の首を狙う役どころ。ただし松田優作は剣がだめ。で、遠くから「人殺し、人殺し」と叫ぶ。聞きつけた人が、ひそひそと「人殺しだってさ」とささやき、それが風のようにひろがっていく。木々の緑、稲の葉のそよぐ。自然の光の美しさのなかで、丹波を見つめる人々の視線のみが冷たい。丹波をいらいらさせる。丹波を追い詰める。あまり話題にならなかったけれど、私は、大好き。
 「花よりもなお」には、ちょっとそういう雰囲気を期待したんだけれど……。
 「誰も知らない」の監督だけあって、タッチがドキュメンタリー的で、時代劇を感じさせないところがいいのだけれど、軽みがない。なぜ軽みがないのかなあ、と考えると、結果的に「仇討ち」がないからだね。
 「人殺し」は最終的に丹波哲郎がちょんまげを切ってしまう。侍をやめる。松田優作は目的を果たす。ところが「花よりもなお」では、そういう単純な結末がない。「仇討ち」はおこなわれずに終わってしまう。
 まあ、「仇討ち」がなくてもいいのかもしれないけれど、どうも演じている役者が最初から「仇討ち」がないことを知っている。(もちろん脚本を読むから知っていて当然なのだけれど。)だれも岡田准一が「仇討ち」しないことを知っていて、ただ長屋の人情噺を演じている。あの香川照之でさえ、結末を知っているという顔をして演技している。これは映画としては大失敗。役者が悪いのか、監督が悪いのかわからないけれど、たぶん監督だろうなあ。「仇討ち」はあるのだ、と信じ込ませて演技させないことには、人情噺の軽みが浮き立って来ない。貧乏長屋の汚ればかりが目立ってしまう。
 (結末を知らない演技、というのは、たとえば「SAYURI」の役所広司の演技。さゆりに振られるということは脚本を読んだ役所にはわかっているはず。見ている観客にも結末が出る前からわかっている。それなのに役所は、さゆりが自分に気がある思い込んだ演技をしている。非常に感心した。)
 長屋の人情噺を描きたいのなら、仇討ちなど持ち込まずに、単純に長屋の人々だけを描けばいい。仇討ちを持ち込まなくても、侍の思想はおかしい、仇討ちなどというのはばかげたことだという「思想」は描けるだろう。
 是枝監督は、映画はどうせ映画という感覚が欠けているのかもしれない。時代劇という舞台を借りて現代劇をやるのなら、もっと強くこれは映画に過ぎないという視点を打ち出さないと、窮屈なばかりである。映画というよりは、舞台で演じた方がきっと楽しくなる作品だと思った。舞台では映画のようなリアルなセットはできない。それだけでも、これは現実ではない、つくりもの、という印象が前面に出る。どうせ、これは虚構、虚構のなかで思いっきり笑ってください、というサービス精神に欠けた映画だった。

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新川和江「水の中の城」(その2)

2006-06-18 21:07:17 | 詩集
 6月5日の「日記」に貞久秀紀「数のよろこび」の感想を書いた。読んだ貞久からはがきが届いた。

「二本と三本を見間違えることなど有り得ない」という一行は、私には思わぬところから飛んできた球のようで、もっとも手応えがありました。

 「思わぬところから」。
 私は実は作者の「思わぬところ」に思想があると思っている。きのう17日の日記のつづきを書いておく。

 新川和江は「水の中の城」を新川自身で解説して、

この詩のポイントは結びの四行にあって、すべてはそこへ読者を案内するための絵地図に過ぎないのだから。

と書いていた。最後の4行が新川自身が書きたかったもの、意識的に書いた「思想」である。それはそれ自体としてとても美しく書かれている。なるほどと納得する。感動もする。
 それはたしかに「思想」ではあるのだけれど、私が考えている「思想」はもっと別にある。
 新川は彼女自身で「詩のポイントは結びの四行」と明確に意識している。つまり、その4行は意識的に書かれたことばなのである。書かれたことばが新川の考えていることと寸分違わぬよう、何度も何度も書き直したかもしれない。そして新川自身が書いているように、その4行がくっきりと立ち上がるように、それ以前のことばを4行のための「絵地図」にさえしている。それ以前のことばを、結びの4行に「奉仕」させてもいる。最後の4行が意識的であると同時に、それ以前のことばもまた非常に意識されたことばなのである。意識の支配のもとで動いていることばなのである。
 「思想」(あるいは「哲学」と言い換えた方がいいかもしれない)は、たしかにことばを選択しながら緻密に書かれるものである。結論へ向けて、整然と書かれるものである。結論ヘ向けての論理展開が重要である。途中に、結論を邪魔するような論理などまじってきては困るだろう。そんなふうに書かれたことばはたしかに思想そのものには違いない。新川がいいたいことのすべてであるだろう。
 そうしたことを認めた上で、私は別のことを考えるのである。
 意識を集中し、とぎすまし、ことばを積み重ねて書く「思想」のほかに、人間には意識できない思想がある。本人は気づかずにいる思想がある。あまりに自分に密着しているので、それが自分に密着しているとも気がつかないものがある。肉体そのものになってしまっている「ことば」がある。それを私は「意識的・精神的な思想」とは別に、いわば「肉体的思想」と考えている。それは絶対に書き換え不能なことばである。(別のことばで書き換えようと作者が思わなかったことばである。)
 「水の中の城」では、それは「小指ほどの」という比喩である。取り立てて特別なことを言おうとは「思わず」に書いたことばである。自分の「思想」を込めようとは意識せずに、ふと口をついて出てしまった比喩である。こうした意識しなかったことば、そういうときに何を比喩とするかにこそ、その人の日々の生活そのものが出てくる。そして、私は日々の生活が顔を出していることばこそ思想だと思っている。毎日の生活を幸せに生きるための考え以上の思想はないと考えるからである。
 結びの4行は「小指ほどの」とはまったく違う。
 「城館を濯(あら)い 歳月を濯い 生を濯い 死をも濯い」というときの、「歳月」「生」「死」ということば、さらに「濯(あらい)」という比喩は、限りなく意識的なことばである。比喩である。普通、人は、水が「歳月を濯い 生を濯い 死をも濯い」とは言わない。新川自身も普通はそんなことばづかいをしないだろう。家族に向かってそんなことばを発しないだろう。「詩」だからこそ、そういうことばをつかっている。
 こういう特別なことばは感動的である。そういうことばを信じないというのではないけれど、そういう意識的なことばよりも、私は作者が無意識的にもらしたことば、何かを意図しないでふともらしたことばの方に信頼を置く。読者に見せようと意識していないことばが信じられるとき、はじめて意識的に発せられたことばも信じられると思う。「小指ほどの」が信頼できる表現であるからこそ、最後の4行も信頼できる。新川は「絵地図に過ぎない」と書いているが、その「絵地図」に偽のしるしが書かれていたら、それは地図にはならないと言い換えれば、私のいいたいことが伝わりやすいだろうか。

 「小指ほどの」ということばと同様、新川のこの作品にはとても重要なことばがある。これも新川が無意識的につかっていると思うのだが、それは「水の中の城」の「中の」という表現である。
 この「中の」はタイトルと、次の1行に登場するだけである。

水の中の城の主(あるじ)もやはり死んだのでしょうか

 この「中の」は簡単なことばだけれど、ここで「中の」がつかわれているのは、それに先立って「小指ほどの雑魚」という比喩があり、それが「閉ざされたままの城館の窓を/いとも自由に いともたやすく 出入りしていたのです」があるから成り立つ。
 川辺に立つ城館の主でもなく、水に映った城の主でもなく、「水の中の城の主」というとき、読者は(私は)、「水の中の」と同時に「城の中の」主を思い浮かべる。魚が出会っているかもしれない城の中、それが水の中と重なる。
 「中の」ということばは、そして新川が最後に書いている「歳月」「生」「死」の「中」をこそ洗いながら、流れる。

 「水の中の城」では、私は「小指ほどの雑魚」という比喩と「水の中の城」の「中」ということばにこそ、信頼を置く。そのことばが信頼できるから、ほかの行を信じることができる。たぶん「小指ほどの」と「中の」ということばに感動した、と書けば、新川は「おもわぬところ」を信頼されたと驚くだろうと思う。

 作者が「思わぬところ」--意識しなかったことば、無意識につかわざるを得ないことば、そこにこそ私は「思想」があると信じている。意識的に書いた部分は、その作者の意識であって、まだ肉体にはなっていない。
 ただし、作者のために弁護すれば、作者はそうした意識を肉体にするために次々に作品を書く。一回だけではなく何回も何回も意識的に思想を書くのは、それが自分自身の肉体となることを願っているからだ。
 そういう意味では、そうしたことばに作者の「言いたいこと」があるというのは、絶対的な事実である。
 「思想」には作者が言いたい「思想」と、知らずに語ってしまう「思想」がある。私は作者が知らずに語ってしまう「思想」をまず先に好きになってしまいたいのである。
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新川和江「田舎のオフェーリア」

2006-06-17 12:37:56 | 詩集
 新川和江が「田舎のオフェーリア」(「something 」3)で「体験したことをそのまま書いて詩になることは甚だ稀である。(略)詩人は虚構をまじえることで、ものの本質や、事実の奥に隠れている真実を、目に見えるものにして提出するのである。」と詩を定義している。その上で、とてもおもしろいことを書いている。
 「水の中の城」に登場するゲゼレ氏について、ある英詩人から、それが誰なのか問われた。「人名事典にあたってみたが不明なので教えて欲しい」と問われた。ところが答えようがない。新川の想像の人物だからである。そして、次のように書く。

 (登場人物がどういう名前であるかは)この詩にとっては枝葉末節。この詩のポイントは結びの四行にあって、すべてはそこへ読者を案内するための絵地図に過ぎないのだったから。

 私は、このことばに非常に驚いた。私が「水の中の城」で楽しく読んだ部分と新川が読者に詠んでほしいと願っている部分がまったく違っていることを知ったからである。新川が読者を案内しようとした世界は……。(荒川は「四行」と書いているが、便宜上5行引用する。)

水の中の城の主(あるじ)もやはり死んだのでしょうか
いいえ とわたしは思います
水は 城館を濯(あら)い 歳月を濯い 生を濯い 死をも濯い
その流れに 跡切(とぎ)れが無いように
水が所有するいのちの総てにもまた 跡切れは無いと

 新川のいいたいことはとてもよくわかる。ただ、私はこの部分は新川の意図に反して、付録として読んでしまった。「ゲゼレ氏」を登場させたために、結末としてそういうことを書かざるを得なくなったに過ぎないと思って読んでいた。「ゲゼレ氏」を新川は想像上の人物だと書いているが、頭でそうした人物をつくりだしてしまったために、頭でその人物についての結末、そしてそうした人物を登場させてしまった想像力について「結末」をつけているだけという印象がある。頭のなかの世界、きちんと整理された論理、精神の抒情という印象がある。(もっとも、これは新川が「ゲゼレ氏」を想像上の人物と書いた文を読んでからの感想である。それ以前は、「ゲゼレ氏」のことは私の感想のなかには含まれなかった。最後の4行は、「結末」らしい終わり方だなあ、とだけ思った。「精神の抒情」という印象は、今思ったことである。)
 私は、こうしたことばに対しては、なるほどなあ、とは思うけれど、心底感動はしない。肉眼を感じないからだ。

 私が感動したのは、まず、書き出しの4行である。

水が所有する建造物に
相似のかたちでほとりに聳える城館よりも
いたく惹かれるようになったのは
あの秋の旅いらいのことです

 水に映った城を「水が所有する」と書いている。もちろん水は城を所有などしない。ただ映しているだけである。しかしそれを「所有する」と書く。この「比喩」のなかには、新川の強い欲望がある。水となって、水が映している城を所有したいという欲望がある。その欲望の強さに私は惹かれた。水になりたいという欲望に惹かれたと言い換えてもいい。
 水になりたい、とはどういうことか。
 
明日はベルギーを去らねばならぬという日の午後
離れがたい思いでわたしは岸に佇み
水にうつって幽かにゆらめいている城館をしばし眺めました
小指ほどの雑魚が何匹も遊泳していて
おどろいたことにかれらは
とざされたままの城館の窓を
いとも自由に いともたやすく 出入りしていたのです

 水になるということは、単に城館を映すということではない。「鏡」になることではない。「映像」を所有することではない。「魚」という想像力を、自由に白のなかへ出入りさせることだ。城そのものを肉体にしてしまって、その自分の肉体のなかを自由に歩き回ることだ。水となって城を映すとき、新川は水であると同時に城そのものであり、またその城を自由に出入りする魚そのものでもある。そのとき、水、城、魚、新川の肉体の区別はない。すべてが一体となっている。
 「小指ほどの雑魚」というときの「小指ほどの」と単なる比喩ではない。「5センチ足らずの」と言うこともできるし、「折れた鉛筆ほどの」と言うこともできるだろうが、新川は「小指ほどの」と書く。そのとき、そこには新川の肉体が知らず知らずの内に入り込んでいる。このとき、新川の肉体は、小指一本に収斂し、魚となって、水のなかを泳ぎ、同時に魚となって城のなかへ入っている。水を感じ、城を感じている。
 そしてそのとき、私自身も、魚となって、新川の泳ぎについていく。閉ざされた城の窓から内部に入っていく。水のなかで、城が立体化する。映像という平面ではなく、立体になる。城が肉体として見えてくる。自分自身の肉体になる。
 新川の言う最後の4行は、魚となって、水となって、城を所有したよろこびを、後から頭で整理したもののように私には感じられるのである。
 


 なぜこんなことを書いたかと言うと……というのは、かなり強引かもしれないが……。6月10日の日記に書いた有田忠郎の作品への感想について、有田から手紙が届いた。その手紙には「誤植」が指摘されていた。「ALMEE」が犯した「誤植」と私が犯した「誤植」がある。私が犯した「誤植」は引用するときに間違えたもの。(6月10日の「日記」の引用は訂正しました。)

「この歌は……出たものではあるまいか」は、わたしの文章では「……ではあるまい」です。意味が正反対になりますね。

 不思議なことに、意味を正反対に取りながらも、私は誤読したという自覚があまりない。「誤読」(誤植)を指摘されているにもかかわらず、私がそこで書いた感想がぜんぜん変わらないと感じている。
 詩は「誤読」によって他者と結びつくのかもしれない。
 新川の詩を読んだ英詩人は「ゲゼレ氏」を実在した人物と「誤読」した。私は新川が書きたいと思った「4行」を付け足しだと誤読した。誤読しながら、何かを引き継ぎ、何かを引き渡す。それは「詩」という水の流れにとって、淀みなのか、あるいは障害物によってできたうねりなのか、よくわからない。しかし、そのときもたしかに「詩」のことばは水のように動くところへ動いているのだと思う。

 これは余分な自己弁解だったかもしれない。
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西出新三郎『家族の風景』

2006-06-16 12:05:28 | 詩集
 西出新三郎『家族の風景』(思潮社)には二種類のことばがある。
 一種類目。たとえば「電話をかける」。

ぼくは電話をかける
朝のラッシュアワーが始まった
クレルモン・フェランの駅の公衆電話から
ある夜は
アルルのホテルのロビーから
(略)
八時間先の
ぼくのいない部屋に電話をかける
呼び出し音は鳴りつづける
壁に掛けた
モディリアニの複製が聞いている
長い首をかしげた女

 「八時間先の」というのは「時差」のことである。実際には「今」でしかないのだが、ヨーロッパの時間(時計の表示)と日本の時間(時計の表示)の差を「八時間」と認識するときにのみ立ち上がってくる「時間」が「時差」である。「八時間」は頭のなかにある「時間」を立ち上がらせるもの、「頭のなかのことば」と言えるかもしれない。
 「時間」をめぐることばは「記憶」にも出てくる。

思い出せるところまでもどることは
その分だけ時間を取りもどすことだ
それだけ若返るということだ

 「頭のなかのことば」は「論理のことば」である。「精神のことば」である。そして「倫理」のことばでもある。「記憶」には次の行もある。

忘れたら元の場所へもどろう
一年前の場所へもどることは
去年の金木犀をもう一度嗅ぐこと
一年若くなること
十年でも五十年でも若返ろう
三月十日に東京で何があったか
六月二十三日に沖縄で何があったか
八月六日に広島で何があったか
八月九日に長崎で何があったか
おおかたの人は忘れているではないか

 「論理のことば」「精神のことば」は清潔であるがゆえに「抒情のことば」に転化する。そして「清潔なことば」は簡単に他人を批判することばになる。もちろんその「他人」のなかには自分も含まれていて(何しろ、頭のなかのことばなのだから)、それは「自己批判」「反省」のことばでもあるのだが……。このとき、ことばは、たぶん「頭のなか」を守るのである。世界ではなく、自分の「頭のなか」を守るために動くのである。そのために、ちょっと窮屈になる。自己保身的というか、自分のことばをわかってくれる人間に対してのみ開かれたものとなる。自分のことをわかってくれる人に対しては開かれたことばだけれど、そうでない人を拒むことばになってしまう。
 「頭のなかのことば」はそういう要素をもってしまう。
 「頭のなかのことば」が会話をはじめると、会話している人は楽しいかもしれないが、傍から見るとちょっと不気味である。「フォントネー修道院にて」。

若者はリュックからひとかけらのパンを
ぼくは一個の青い林檎を取り出した
〈一人で食べるにはちょっと足りないけど
 二人で分けると十分な量だよね〉
ぼくはすこし格好をつけて言った
〈いつも一人で食べていたから
 味なんかわかんなかったけど
 今日はおいしいですよ格別に〉
と若者は言った

 「ぼくはすこし格好をつけて言った」という行があるから幾分不気味さはやわらぐが、それでも私は思わず笑いだしてしまった。「おかしい」というよりも不気味さを忘れるには笑うしかないからだ。

 もう一種類のことばは「頭のなか」にあるのではなく、「頭」以外の肉体のなかにある。血と肉になっていて、触ると変形する。「頭のなか」が頭蓋骨で守られていて、外からの力とは無関係にことばが運動するのとは違っていて、押すと引っ込むし、同時に押した力をはねのけてもくる。そこには「論理」はない。「精神」はない。あるのは肉の感触、手触り、実在の感覚である。「忘れる」に、そうしたことばが出てくる。老いた母と息子(西出)の会話で成り立っている。西出は母の頭を洗いながら対話している。

お産の後では酢のものはいかんからと
前の晩にいわしの押し鮨をどっさり作って
おなかいっぱい食べてね
何度産んでもお産はやはり死ぬ覚悟さ
すこし寝てたらあなたが生まれた

よくおぼえてるもんだな
いわしの押し鮨のことまで

おいしかったねあれは
あの味を忘れてしまって
ほかにどんな大事なことを
おぼえていないといかんのかね

 「よくおぼえてるもんだな/いわしの押し鮨のことまで」は西出のことば。「頭」から世界を見たことばである。「頭」で母親の奇妙な記憶を批判(?)している。もっと大切なことを覚えていてもよさそうなのに……という気持ちだろう。
 これに対して、母親は「頭」では何も答えていない。体、肉体がおぼえていることだけをことばにしている。
 「おいしかったねあれは」とは、押し鮨を食べた「前の晩」の記憶ではない。西田を産んだ体験があってはじめて実感できる「おいしさ」である。「すこし寝てたらあなたが生まれた」は安産だったということだろう。元気に西田が生まれたということだろう。そのよろこびが「おいしかった」に含まれている。いわしの押し鮨を食べることと、安産、西田が健康に生まれることとの間には「頭」で考えてわかる「因果関係」はない。「頭」で考えれば「馬鹿な話」にすぎない。しかし、肉体では違う。いわしの押し鮨を食べること、安産、西田が元気に生まれることは、その全体を含めてひとつのことであり、切り離すことができないものであり、その切り離せない感覚が「おいしさ」なのである。
 母親は、ここでは単に押し鮨のおいしさを語っているではない。西出が元気に生まれてうれしかったよ。おまえが生まれたときのことは何一つ忘れていないよ、と肉体のことばで語っている。最後の二人の会話がそれを雄弁に語っている。

その日はどんな天気だったのかな

十月一日かい
ぬけるような秋晴れのいちにちだったさ

 母親にとって「おいしかった」のはいわしの押し鮨だけではない。西出が生まれる前の少しの睡眠も、秋晴れもおなじように「おいしかった」のだ。そして、そう語りながら頭を洗ってもらっている時間も「おいしい」に違いないのである。
 この母親のことば、よろこびにあふれたことばには、思わず涙が流れる。「おまえが生まれてうれしかった」とは言わず、ただただ自分のよろこびを語る。あのときの「いわしの押し鮨のおいしさは、おまえなんかにはわからないさ」と突っぱねている風でもある。自慢している風でもある。きっと、そのおいしさを知っているという自慢は、おまえを産んでよかったという自慢でもあるのだ。
 私は西出ではないけれど、「おかあさん、産んでくれてありがとう」と呟かずにはいられない。感謝せずにはいられない。とてもとてもとても、いい詩だ。

 人が両親から受け取るのは血・肉・骨といった肉体だけではない。遺伝子だけではない。
 「忘れる」で西出は母親から「頭」ではつくりだせないことば、肉体で体験することによってしか生まれないことばを引き継いでいる。肉体のことばを引き継いでいる。このことばを、もっと大切に育ててもらいたい、と思った。
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『渋沢孝輔全詩集』を読む。(28)

2006-06-15 14:49:37 | 詩集
 『星曼陀羅』(1997)は散文詩集である。「わたし」(あるいは、それに類する主人公?)が登場するが、ある性質を担っている。
 「詩の相好」の2連目。

 こんなことを言ったからといって、わたしはなにも無常の観想者を気取っているわけではない。まして早なりの諦観者などではなく、どちらかといえば晩季頽唐の危うい美にわけもなく脳髄を酔わせ、「〈凋落〉という語に要約されるあらゆるもの」にこそ奇っ怪にも興趣をそそられる種類の人間にはちがいないが、それとてどうしようもなく骨がらみの本性や趣味というわけではない。

 断定は「ない」という否定形で語られるだけである。否定でないものさえ「ちがいない」という「ない」を含む形をとる。そして「ない」と「ない」の隔たりのなか、「ない」がつくりだす構造(時間・空間)のなかにことばが動いていく。「ない」をつかわずに語れるものを探していく。
 次のような具合である。

この怠惰な性癖はもういまさら矯正しようもなく、さりとてなんらかの奇策に頼ってでも最終的な平安への道を欲していないわけではない以上、ひとまずこのままに開き直ってみるよりほかはないではないか。案外そこに心安らぐ展望が開けないでもないし、実際この世には、思いがけない抜け道というものも結構用意されているらしく思われるからである。
 
 否定の「ない」につうじるもの。「矯正しようもなく」。これは今引用した部分では一回だけである。一方、二重否定によって肯定につうじる「ない」は「欲していないわけではない」「開き直ってみるよりほかはないではないか」「開けないわけではない」と3回も登場する。そして、その二重否定の「ない」と「ない」の間を意識することが、たぶん、渋沢にとっての「詩」なのである。
 「ない」と「ない」の二重否定の「ない」の間に、「思いがけない」という絶対否定の存在が滑り込む。それが「詩」であると「思われる」。ここで、やっと「肯定」、しかし、やわらかな肯定があらわれる。
 この二重否定と肯定の関係は、私には、「直列の詩学」に通じるものを含んでいるように思える。結びつくはずのないものを結びつけ、そこから絶対的なエネルギーとして噴出することば--というものが「直列の詩学」がめざしていたものだろう。そして、その絶対的エネルギーとして噴出することば、それが「思いがけない」存在でもある。
 行分けで書かれた「直列の詩学」、散文体での「直列の詩学」。そこには単純な肯定と、「ない」の二重否定による肯定の違いがある。前者はひたすら言語運動によって世界を切り開く。いままで存在しなかった世界を構築する。それに対して後者は「ない」と「ない」によってある程度の枠組みをつくっておいて、その内部を耕す、深めるという印象がある。
 たとえば「詩の相好」は『今昔物語』のなかの僧に関する物語がふたつ用意される。共通するのはともに僧らしく「ない」僧が極楽へ行くというものである。ふたりとも僧らしくないのではなく、実は僧らしくないのではない、のである。「ない」のではない「ない」というときのふたつの「ない」の間に共通するのは、知恵ではなくころである、というのが『今昔物語』の語るところである。
 「ないのではない」という二重否定は「頭脳的」な世界のようであるが、実は、それがこころを明るみに出すというのが、この作品の一番のおもしろい点かもしれない。


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『渋沢孝輔全詩集を読む。(27)

2006-06-14 23:52:57 | 詩集

 「エクリプス」(『行き方知れず抄』)は武満徹を悼む詩だ。最後がとても美しい。

しんしんと鳴っているものは何も語らず
ますます深い静寂へと引き込んでゆくばかりだ
思えば空白に刻印された未発の声に触れ
希薄な空気のなかで鍛えられてきたわれら
風を愛していた人も砂漠の人も
どことも知れず行方をくらまし
等質の音の出会いの世界で
いよいよ本物の鬼になってしまったらしい
古い竹藪の竹のひと節ひと節を
いまもしずかに吹き過ぎる風があり
あらためて無何有の郷(さと)へと帰ってゆくのだろう
さくら れんぎょう ぼけ こぶし
さくら れんぎょう ぼけ こぶし

 死んだ人はほんとうに「どことも知れず行方をくらまし」としか言いようがない。特に死んだ人が自分と違ったことをしていたなら、なおさらである。彼の残したものを引き継ぐということもできない。武満の音楽を渋沢が引き継ぎ、新しい展開をくわえるというようなことはできない。できないから「どことも知れず行方をくらまし」としか言えない。そうしたことを自覚し、はっきりことばにする。そこに渋沢の清潔さがある。
 渋沢は武満の音楽を聴いて、

さくら れんぎょう ぼけ こぶし
昼ま見たそれらが幻のように浮かんでくる

とも書いている。最後の「さくら……」の2行は、そのことの繰り返しである。
 私は武満の音楽を聴いても、「さくら れんぎょう ぼけ こぶし」を思い浮かべることはない。だからこそ、(というと変かもしれないが)、渋沢がそれを思い出すと書くとき、渋沢を信じる気持ちが強くなる。たしかに渋沢は武満を渋沢の肉体で聴いている、と信じることができる。渋沢の肉体は、ある日、「さくら れんぎょう ぼけ こぶし」を見た。その目の記憶と、今、武満の音楽が一緒に存在する。別々の存在が、ただ寄り添ってそこにある。
 これは、とても気持ちがいい。



幽玄かつ熱烈な驚くべき二重性から始まる
幻想のそぞろ歩き 心蕩(とろ)かす旋回
煙霧を越え 江河を貫いて
彼方へと言い知れぬ命の航跡が続いている

 これは「幽玄かつ熱烈な」の冒頭である。武満の死を悼んだ「エクリプス」とは関係がない作品だ。しかし、私はふたつの作品を重ね合わせてみたい。特に、この冒頭を。
 「二重性」とは何か。この4行からだけではわからない。そのわからない「二重性」を武満の音楽と渋沢の「さくら れんぎょう ぼけ こぶし」と読みたい気持ちがつのるのである。
 ふたつのもの、武満の音楽、渋沢の見た花の記憶が、からまりあい、「彼方」としか言えない場所へ動いていく。その瞬間に、「命の航跡」が見える。「さくら れんぎょう ぼけ こぶし」と書くとき、渋沢は、渋沢と武満が一緒になって「命の航跡」を描いているのが見えるのだ。
 ただし、その「行方」はわからない。だからこそ、ただ「命の航跡」をのみ見つづける。何も予測しない。何も願わない。そんな清潔なこころが、ここにある。


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映画「ポセイドン」

2006-06-14 22:00:19 | 映画
監督 ウォルフガング・ペーターゼン 出演 水

 カート・ラッセル、ジョシュ・ルーカス、リチャード・ドレイファスといった人間を押し退けて、水、水、水。水が主演です。脇役はもちろん火。その両方が「敵」というのがいいなあ。水と火は対極にあるのに、そのふたつが戦うのではなく、一緒になって人間に襲いかかる。水のなかで火と戦うなんて、「ポセイドン」でしかありえない。さらに最後の方には風も出てくる。いや、おもしろいですねえ。密室の船の中に展開される大自然。それにほんろうされる人間。巨大な船がひっくりかえり、もう一度ひっくりかえり、沈んで行く。そこで試されるのは人間の肉体だけ。人間のつくった構造物(船)は彼らの命を危険に陥れることはあっても助けることはない。気持ちいいですねえ。このさっぱりとした映画の構造は。
 「ポセイドン・アドベンチャー」も悪くはないけれど、今回の作品と比べると水の迫力がやっぱり違う。前作はプールでつくっている感じ、水の量が決まっているという不思議な安心感がある。それに対し、今回のものは本当に海の中という感じがする。水は無限に押し寄せてくる。圧力がじわじわ恐怖のように押し寄せ、下から吹き上がり、上から瀧のように落下し、遠くから激流となって流れてくる。重さと速度が、船内という密室をさらにさらに狭くする。人間ののがれる道はひとつなのに、水は自在に形を変えて四方から押し寄せる。その攻撃力のすさまじさ。
 変形自在な水の形態。空間があればどこへでも押し寄せる自在さ。水の中を動く水のスピード。これをリアルに映像化した。これが、この映画の一番のすばらしさ。
 あとは、単なる味付け。映像を見せるためのストーリー。構造ですね。
 たとえば、水が人間に襲いかからないのは、水の中だけという矛盾。(といっても、水のなかで生きていられる時間はかぎられているが。)水の外へ出るために、いかに水の中をくぐりぬけるか。いかに水の中に生存の手がかりを見つけ、行動するか。このあたりに人間の肉体と知恵をかけたサバイバルのおもしろさがある。そこにお決まりの、愛のために、愛する人間のために自分を犠牲にするという物語りも絡んでくる。愛するひとの心の中に永遠に生きるために死を選ぶという矛盾。……矛盾といえば、最初の船の転覆そのものも矛盾だね。天地がひっくりかえる。なにもかもが逆さまのなかで、逆さまでないもの、絶対に逆さまにならないものは何かを描く。--こう書いてみると、わかるでしょ? 映画がつまらなくなるでしょ?
 この映画は、あくまで水の力を生々しく描いて見せる映画です。水の生々しさに感動しなければ映画を見たことにはならない。この映画は、「今、私は水を見ている」ということを忘れさせる迫力で水を押しつけてくる。水を意識しないで見てしまう。水のとりこになってしまう。
 すごいですねえ、すごいですねえ。水を撮らせるなら、ウォルフガング・ペーターゼンしかいない、ということでしょうか。急に「Uボート」が見たくなりました。

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映画「インサイドマン」

2006-06-13 23:18:19 | 映画
監督 スパイク・リー 出演 デンゼル・ワシントン、クライブ・オーウェン、ジョディ・フォスター

 映画、というよりは珠玉の短編小説というべきか、あるいは読む脚本(?)というべきか……。映像で勝負するのではなく、ひたすら、ことばでしかたどりつけない部分へと誘い込む作品。したがって演技派をそろえながらも、もっぱら「真実」を隠して語らない、ひたすら「真実」からいかに遠くに、しかし「真実」と強く結びついているかを、目で演技するというスタイルを全員がつらぬく。まあ、緊迫感があると言えば言えるかもしれないけれど、それはことば、あるいは精神の問題であって、醒めた見方をすれば、「なんだこれは」ということになる。映画は、そのあたりには存在しないスターの顔と肉体を見るもの。美男・美女がこの世のものとは思われない苦難に向き合い苦悩し、歓喜する表情と肉体の動きをみるもの。ことばのやりとりを聞くものではない。(途中に出てくる「アルメニア語」のエピソードなど、肉体とは何の関係もない。I ポッドの録音というのがその典型である。)目の演技も必要だけれど、それは本当に一瞬のもの、顔のアップの一瞬だけでいい。
 「頭脳犯」「交渉人」「弁護士」と、3人が3人とも冷静・沈着を売り物にしている「職業」という設定が、ドラマを小さくさせてしまっている。肉体が入り込む余地を小さくしてしまっている。これじぁねえ……。
 結末も、犯罪ものにしては不完全燃焼という感じがして困る。「すっごく頭がいい」というのはよくわかる。しかし、人が頭がいいかどうかなんて、どうでもいいことだろう。明るみに出た「本当の悪」は本当に明るみに出たのか。それを追求し、裁かないかぎり、明るみに出たとはいえない。「頭脳犯」は頭がよくてあたりまえ。普通の人間は、だれが頭がいいかではなく、そこで問題になったことがどうなったかを知りたい。たとえば、ライブドアの堀江容疑者がどんなに頭がいいかとか、村上ファンドがどんなふうに頭がよくてどんなことを企んだかではなく、単純に、そんなことは悪いことなんだ、逮捕されて当然なんだという肉体にかかわることがらを知りたい。(逮捕というのは肉体的自由を拘束する「事実」である。)この映画の残したものは「余韻」ではなく、なんというか、私はここまで頭がいいんだ、こんなにクールなんだという「自慢話」にすぎない。いやだなあ、これは。
 映画で見たいのは「頭」のなかの「明晰さ(クールさ、天才さ)」ではなく、あくまで肉体はこんなふうに動くという生な感じだ。
 
 単純に読む脚本としてなら 100点、ただし映画にしてしまっては 0点という奇妙な作品だった。

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新藤涼子、高橋順子「連詩 地球一周航海ものがたり1」

2006-06-13 22:35:09 | 詩集
 新藤涼子(「りょう」は正確には「にすい」、文字が表記できないので「さんずい」で代用)、高橋順子「連詩 地球一周航海ものがたり1」(「現代詩手帖」6月号)。
 どうやら二人は「トパーズ号」という船で世界一周の旅をしたらしい。その体験を詩にしている。高橋順子の「1」。

大船とはいえど 鋼鉄の物質が水に浮いているわけである
横浜から乗ったおばあさんが 扇子をつかいながら
「あそこなら しんでもいい」
と言っている
あそこって あの珊瑚礁の島かしら
椰子の木陰にきれいな目をした黒い人たちがいた
「あそこなら しんでみてもいい」
うーん しとすが逆になる東北生まれの人が 「すんでみ
 てもいい」と
この世の住処の話をしていたんだ
       (谷内注 原文の「しとすが逆になる」の「し」「す」には傍点あり)

 旅とは新しいものに出会って、自分の誤解を少しずつほどいてゆくことだろう。高橋のこの書き出しは実際の「異国」に触れる前から、そうしたことが始まっている。これからどうなるんだろうと期待を誘う。
 そして、旅で何か新しいものを知ったと思っても、実はそれは自分が知っているものであったということも発見する。それが旅だ。人は知っていること以外は知ることができない。
 同じ高橋の「5」。

或る土地には或る土地固有の速さがあって
旅人は自分の中の速度を知らされる
ベトナムのひなびた土地を歩いたとき
この速さは身に覚えがあると思った
たとえば自転車で走るタクシー、シクロに乗ったときに
とどいた風の速さは
わたしの子どものころのそれだった
いやそれよりももっとむかしの風だったかな
ベトナムの畦道はまがりくねって そこから
忘れていたそよ風が吹いてきて
吹きだまりをつくって
また吹いて

 究極の旅は「自分の中」への旅である。高橋はそれを実践していることになる。

 これに比べると新藤はちょっと違う。いや、かなり違う。自分自身への旅もあるにはあるが(たとえば「4」)、高橋よりは「内面性」が少ない印象がある。関心は、自分の外にある、といっていい。
 「6」が生き生きとしている。

「ヨン様 そっくり! 」
その声に船上の人びとはどよめいた
「望遠鏡で見てごらん」
ほんとうにはにかみながら
上を見上げて笑っている顔は
「ああ!  南のソナタ! 」
ベトナムが
一人の青年の立ちつくしている姿で
急にいとしくなる
船が動き出すと
波止場の突端まで追いすがって来た青年!
けわしい顔で物を売りつけていた人びとの印象がうすれて
涙が出そうになつかしくなったダナンの土地よ

 私は新藤の年齢も高橋の年齢も知らないが、たぶん新藤の方が年上のはずである。しかし、この連詩を読むと、新藤の方が好奇心が強く、視線が内から外へ外へと向かうのに対し、高橋の視線は外から内へ帰ってくる。そんな印象がある。
 高橋の内面への旅、新藤の外への旅、それが交互におりなされ、動きだす。つづきが楽しみな連載である。

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関富士子「3月が耳を濡らすので」ほか

2006-06-12 11:38:39 | 詩集
 関富士子「3月が耳を濡らすので」(http://www.interq.or.jp/sun/raintree/rain31/kugatu3.html#sangatu)を読む。冒頭の1連がおもしろい。

人が頭を揺すって不満や怒りや焦燥に歯噛みするとき
ミス・フリージアは同情深げに肯いて重たげなつぼみを揺するのである

 「揺すって」が二度出てくる。そしてそれは重なり合わないものであるはずなのだが、つまり一方は「不満や怒りや焦燥」とともにいる「人」(一般名詞、普通の人)であり、他方はその人に「同情」を寄せる個人(固有名詞、ミス・フリージアを持つ人間)である。同情される人と同情する人が、ともに「揺する」という動きをする。前者は「頭」をゆする。後者は「つぼみ」を揺する。「つぼみ」は「頭」の比喩であろう。すると、同情される人と同情する人がともに「頭」(つぼみ)を揺することになる。「つぼみ」が「頭」ならば、「頭」はまた「つぼみ」であるかもしれない。花開いていないもの、完成(?)の途上にあるものが「不満や怒りや焦燥」にとらわれるのか。完成の途上にあるものが「同情」をするのか。そうしたことが「揺する」というひとつの動詞が繰り返されることであいまいになる。どちらともとれるようになる。前者と後者の区別がつかなくなるかといえば、そうではなく、「歯噛み」と「肯く」という明確な動作の違いがくっきりと残る。そして、そこに明確な差異があるということによって、初めて「揺する」という動作で重なりうることがわかる。もし明確な区別が存在しないなら、重なるという問題は起きない。区別があるからこそ、重なる、ずれる、その重なり、ずれのなかで、何かがあいまいになる、ということが起きるのだ。

 「桜を見にいく」(http://www.interq.or.jp/sun/raintree/rain31/tatte3.html#sakura)にも、重なりとずれ、それを意識する感情の、ことばにならないものが、ことばにならないまま描かれている。詩はことばで書かれているのに、それをことばにならないものが、ことばにならないまま書かれているというのは言語矛盾のようであるけれど、そうとしか言いようのないものが書かれている。

ここでわたしたちは手を振ってまたねと言って別れた
その人は手を振りながらぎこちなく後ろを向き
あとは振り向きもせずに行ってしまった
駅までわたしを送ってくれて
じゃあと言って早足ですぐ見えなくなった
その刈り上げた首筋のあたり
いっしょに歩きながら駅前に来てようやく
うつむいて歩く人の横顔がくっきり見えたので
少しやせた? と尋ねたのだった
その人はうつむいたまま そう見えるかもしれない と答えた
それでようやく髪が短くなっているのに気づいた
床屋に行ったのねと言ったのだったか
そのあとわたしたちはすぐ駅に着き
じゃあとお互いにうなずきながら手を振った

 「手を振る」という行為が繰り返し書かれている。その反復の間に、それ以前の時間が記憶の形で反復される。時間の順序に従ってというよりは、時間を逆に戻るようにして反復される。
 この反復は、反復であることによって、けっして重ならない。今、という時間に出現してこない。何かを反復するとき、というか、何かを反復することができるとき、それはけっして取り返せないものであるから、人は、こころのなかで繰り返してみるしかないのだ。
 詩は、以前、「その人」といっしょに見た桜を、「その人」の住む家の近くにある公園の桜を一人で見に行く(桜を見るという行為の反復)姿を描いているが、この反復のなかで明らかになるのは「不可能」性だけである。
 桜を見に行くという行為が反復され、行為(動詞)そのものが重なるとき、そこから逃げていくもの、けっして重ならないものがよりくっきりと浮き上がる。

今はもうだめだ
あたりは暗くて表情が見えなかった
それ以上どうしたら近づけるのかわからなかった

 切なさ、あるいはすべての感情は、そうした反復と、反復では取り返せないものを意識するこころによって、体に染み付いていくものなのだろう。

あまりにためらいもなく桜がみずから望むかのように
無造作に散るので
はらはらして積もった花びらを踏むのもためらわれた

とは、この詩のなかの3行だが、切なさもまたみずから望むかのように、無造作に、反復するしかないのだ。「無造作」とは、このとき、制御しようがないもの、命の自然な発露のあり方という意味である。自然な力である。
 「無造作」のなかに、ことばにならないことば、思いが強く潜んでいる。だからこそ、その無造作の結果としてある花びらを踏むことはできない。
 このとき、関は、花びらに自分自身を重ねて生きている。

 けっして重ならないものがある時、必然であるかのように重なり合うものもある。その瞬間に切なさが輝く。

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有田忠郎「峠を行けば」

2006-06-11 14:22:27 | 詩集
 有田忠郎「峠を行けば」(「ALMEE」380 )は不思議な詩である。《たましいの暗がり峠雪ならん》(橋間石--谷内注、「かん」は正確には門構えに「月」、文字が表記できないので「間」を代用する)という句の引用からはじまり、いくつかの句の引用、短歌の引用と動いていく。それにともなって「暗がり峠」が「黒峠」にかわる。《黒峠とふ峠ありにし あるひは日本の地図にはあらぬ》(葛原妙子)この破調の短歌に触れて、有田は中井英夫の「欠落以外では語れない内容」という鑑賞を引用した上で、書く。

 この歌は、何もかも真っ暗に見える閉ざされた魂から出たものではあるまい。ただ葛原妙子の歌を詠んでいると、日常生活の至る所に、「黒峠」のような裂け目が見えてくる。

 この部分で私は二度どきりとする。「読んで」ではなく「詠んで」。このことばに、まず驚く。それまでは、たとえば「短歌を五・七・五/七・七の音数律に切って読む習慣が、わたしには刷り込まれている」と「読む」ということばをつかっている。
 「読んで」というとき、私は他人のことばを「読む」。「詠む」はそうではなく、自分の思いを託す。有田にもどこかでそういう意識があると思う。葛原の歌を読みながら、しらずしらずに、それを自分自身の声として感じる。有田の肉体のなかから出てきた声として有田は感じる。
 そのうえで「裂け目が見えてくる」。
 このとき、有田は葛原が見たであろう「裂け目」を想像力で見ているのではない。肉眼で、有田自身の目で見ている。
 これは強烈である。
 こんなふうに、批評を、自分の肉体をかけて書かれたのでは、それを丸飲みにして信じるしかない。(だからこそ、有田の文章は「批評」を通り越えて「詩」になっている。丸飲みにして、しだいに体のなかでなじんでくるのをただ待つしかないものになっている。)
 有田は自分の肉体で葛原の世界を引き受けながら、さらに先へ進む。《ふみいづるつめたき足のあらはれて足うごくところ木の葉寄りたり》という歌について書く。

これは積み重なった落葉の上を歩く人が、真上から自分の両足の動きと落葉の動きを見て詠んだのではないかと考えた。

 この感想は、私には目新しくもなんともない。それ以外に読みようがないことを有田は書いていると思う。なぜ、こんな平凡なことを有田はわざわざ書いたのだろうか。たぶん、有田はこの歌を通して初めて、そして突然、葛原の肉体に出会ってしまったのだ。この歌に出会うまで、たぶん有田は葛原の肉体と出会っていない。葛原の肉眼がそのまま有田の肉眼だった。親和力のなかで、有田は葛原の肉体そのものとなって、肉眼で有田の世界を見ていた。有田のことばを声に出して詠んでいた。肉体の内からあふれてくるものを声に出していた。
 それが突然、有田の肉体を超えたものに出会った。そして、そこに葛原の肉体を感じたのだ。
 有田の感想はつづく。

実にリアルな描写なのだが、かつてこんな角度から歌った人がいただろうか。

 葛原の肉体の発見は、有田にとって完全なる「個人」の発見でもあった。



 有田のさの作品には、不思議な部分がほかにもたくさんある。たとえば、《たましいの暗がり峠雪ならん》を有田がどう「詠んだ」かが書かれていない。「たましいの/暗がり峠/雪ならん」と「5・7・5」のリズムで詠んだのか「たましいの暗がり/峠/雪ならん」と「9・3・5」と破調で詠んだのかも書かれていない。飯田蛇笏、永田耕衣の句や仁平勝の批評を通り抜けて、「峠」ということばを中心にして葛原の歌へ動いて行ってしまう。
 だが、それは橋の句に「峠」が出てくるからなのか、「暗がり」が出てくるからなのか、ほんとうのところはわからない。葛原の歌には「暗がり」のかわりに「黒」という文字が出てくる。そして、その「黒峠」は実在のものなのか、魂が感じた色が呼び寄せたことばなのかわからない。「破調」について有田は書いてもいる。「破調」を問題にするなら、どこかで「たましいの暗がり/峠/雪ならん」と破調の響きが残っているかもしれない。
 有田は、葛原の「破調」から「欠落」のリアルさを肉体で感じている。その上で、「欠落」を「裂け目」と呼び変えている、と私は思うが、このとき、私はまたとても奇妙な気持ちになる。

ただ葛原妙子の歌を詠んでいると、日常生活の至る所に、「黒峠」のような裂け目が見えてくる。

 「峠」とは山になった部分である。「裂け目」は逆に谷になった部分ではないのか。ところが有田は「黒峠」に「裂け目」を見ている。
 実際の風景ではなく、精神の風景を見ている。
 有田にとって、風景、実在の世界は、精神によって純化された世界なのかもしれない。精神と書いたものを「たましい」と書き換えれば、橋の句そのものの世界へつながるかもしれない。
 現実世界を精神や魂で純化したもの、それが「文学」であると仮定すれば、たしかに「ふみいづる……」の歌は一風変わったものとして見えるかもしれない。有田にとって、その歌がまったく新しいものに見えるかもしれない。
 しかし、「ふみいづる」の歌は、むしろ非常にオーソドックスなものとして私には感じられる。そこには精神が精神として、魂が魂として純化されるまえのものが肉体として描かれている。風景も純化される前のものが描かれている。あるいは精神も魂も肉体の外へ出ていくのではなく、肉体にとどまり、肉体とひとつになっている。肉体と精神、肉体と魂という二元論ではなく、肉体であることが精神であり、肉体であることが魂であるという一元論の世界がそこにある。そしてそれは古くからの日本の「ことば」のありようではないだろうかと私は思う。

 有田の詩は、精神、魂によって純化された世界である。世界によって純化された精神、魂といってもいいかもしれない。西洋風の二元論的世界といってもいいかもしれない。
 ふいに、葛原の一元論的世界にであって、有田は、どう変わるだろうか。そのことに急に関心がわいてきた。

これは詩の題材としては小さすぎる。俳句では写生できない。短歌にのみ可能な表現とわたしは見る。

 最後に有田は「ふみいづる」の歌に対して、そう書いているが、簡単に結論を出さず、それを「詩」のなかにどうやって取り込むか、を考えるとおもしろくなると思う。「声」を頭脳で明晰にするのではなく、逆に、声を肉体で濁らせる。五感で濁らせる。そこにも有田の「詩」は新しく開けるのではないだろうか。
 これは、私の夢想である。


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小松弘愛「ほたえる」、林嗣夫「風花」

2006-06-10 22:54:42 | 詩集
 小松弘愛「ほたえる」(「兆」130 )。連作「続・土佐方言の語彙をめぐって」の36にあたる。「ほたえる」は「さわぐな」という意味らしい。

一八六七年十一月十五日
京都 近江屋の二階
坂本龍馬と中岡慎太郎は
夜更けまで語り合っている
と 部屋の外で
「ガタガダ ガタガタ」
下僕の藤吉が刺客に斬られて倒れる音を
竜馬は それと気づかず
「ほたえなッ! 」

(略)

血だらけになった座敷
竜馬「脳をやられた」
慎太郎「わしァ もう だめじゃ」

東山をのぞむ京の街並み
月光のもと
屋根瓦が白く光っている
「ワオオン」
犬の
遠吠えである。

 最後の余韻が美しい。最後の6行が大好きで、何度も何度も読み返してしまった。
 切られた竜馬と慎太郎には申し訳ないが、犬の遠吠えの「ワオオン」が聞こえたとき、竜馬はやっぱり「ほたえなッ! 」と言ったであろうか。犬に対して「ほたえなッ! 」と叫んだであろうか。それとも黙ったままだったろうか。考えても考えても、答えは出て来ない。かわりに「ワオオン」という遠吠えだけが聞こえる。
 「さわぐな」だったら、たぶん、この余韻は生まれない。
 肉体、不透明なもののなかに生きてきた不透明なことば、おなじ土地と時間を共有する人間といっしょに生きてきたことばだからこそ、余韻を感じるのだ。肉体が、そこにあると感じる。絶対的な存在として、手に触れ得る肉体があると感じる。そしてその肉体のなかに、固有の時間、固有のことばがあると感じる。あたたかいものを感じる。そのあたたかさが、そのまま余韻である。



 「方言」とは意味である前に、まず「音」なのだと思う。肉体なのだと思う。「ほたえな」を「さわぐな」と置き換えるとき、たぶん、そこから肉体が抜け落ちる。

 うまく説明できないが(説明する必要のないことかもしれないが)、小松の耳は大変いい耳なのだと思う。ことばの音が肉体と深く結びついて世界をつくっていることを感じ取ることができる耳なのだと思う。
 「ほたえな」ということば自体は、いろいろな状況で発せられることばだろう。それにもかかわらず、小松は瀕死の竜馬、慎太郎を描くのに、それを選んだ。そのことが「ほたえな」にさらに深い味わいを与えている。深い味わいがあるからこそ、余韻もまた深々としたものになる。



 耳といえば、林嗣夫の耳もいい。同じ「兆」に発表されている「小詩集 花ものがたり」の「27 風花」の5連目。

山里のホテルにつづく疎林の雪道を
ぐるる ぐるるるっ 一人の女性と歩いた日のことを

 「ぐるる ぐるるるっ」がすばらしい。新雪を踏みしめて歩くときの足音だが、単なる音ではなく、やわらかい雪に足をとられながら、必死で肉体をささえるときの力のようなものが、その音のなかにある。雪道を歩く肉体そのものを喚起させる音である。
 耳だけでなく、肉体全体で音を聞いていることがわかる。


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『渋沢孝輔全詩集』を読む。(26)

2006-06-09 22:31:15 | 詩集
 『行き方知れず抄』(1997)。この詩集にはさまざまな人物が登場する。その、登場人物への、重ね合わせ方が、ゆったりしている。ある人物を思い出し、その人に自分をゆったりと重ね合わせてみる。
 それは他者と渋沢の「直列の詩学」ではない。二人のエネルギーを直列することで、新しい巨大なエネルギーになるのではない。また「放電の詩学」でもない。渋沢から他者へ向けてエネルギーを放出することで、静かに落ち着くという詩学ではない。
 他者を思い出し、その思い出にそって渋沢を動かしてみる。そうすることで見えるものを見る。感じるものを感じる。他者を生きてみる。他者のなかにある願いを自分自身の内に抱き締めてみる。そして、そこから何が育っていくか、じっと見つめる。
 「ぜんまい」は西脇順三郎を思い出す詩である。植物庭園を歩く。植物を愛した西脇が見たものを見つめる。

カタクリ ショウジョウバカマ フッキソウ

 この植物の名前のなかに西脇がいるとも言えるし、いないとも言える。
 私は西脇の書く植物の名前にはいつも音楽を感じる。植物なのに、植物ではなく、音楽を感じる。一本の草、茎、あるいは花ではなく、それがたとえば乾いた道の色、板塀、藪と溶け合い、溶け合うことで、静かに音楽を響かせていると言うとおおげさかもしれないが、どこからともなく、周囲の空気、そのはるか向こうから「音楽」を引き寄せ、小さなメロディーを響かせているようなものを感じる。
 渋沢の植物は、(特にこの詩の場合は、植物庭園なので、特にそうした色合いが強いと思うが)、音楽ではなく、違和感として立ち上がってくる。こんなところに、こんな植物がなくていいのに、というか、とても人工的な感じがする。自然にある植物ではなく、人工の場所、都会にある植物という感じがする。
 そこでは「音楽」のかわりに、なんというか、存在の構造、脳の構造が立ち上がってくる。
 表題になった「ぜんまい」に触れた部分に、特に感じる。

わたしはこのハケの池の畔のゼンマイである
縦ざまに目まいとともに
渦を巻く芽の先の力であり消滅である

 西脇が「耳」の詩人だとすれば、渋沢は「目」の詩人、視覚の、視力の詩人である。目で世界の構造を捕らえ、「絵」あるいは「図」にする。そしてそれは、脳の世界である。西脇が「灰色」と呼んだ世界である。
 渋沢の世界は、私から見れば西脇には重ならない。まったく別種のものである。しかし、それは私の感じ方であり、渋沢の感じ方ではないだろう。たぶん、渋沢は「わたしはこのハケの池の畔のゼンマイである/縦ざまに目まいとともに/渦を巻く芽の先の力であり消滅である」と書くとき、西脇の見ている夢を思い描いている。
 私の知っている(私の感じている)西脇は渋沢の詩には登場しない。だからこそ私は逆に渋沢はほんとうに西脇のことを夢見たと信じることができる。西脇が見たものを見たい、同じものを見たと言いたくて詩を書いていると信じることができる。同じものを見て、西脇の感じたことをそのまま感じるというのではなく、何かを感じたというそのこと自体に対して、何かを感じるということがどういうことなのかわかると告げたいのだと思う。同じことを感じることはできない。けれど、そのときこころが動くということ、それを信じるということを告げたいのだと思う。
 感じたもの。感じ。それは、何かわからない。わからないけれど、感じが動いている、こころが動いていることが手にとるようにわかる。そして、その動きに対して、どうなってしまうかわからないけれど、ことばが動いて行ってしまう。ここには、「愛」の始まりのようなものがある。
 「愛」のはじまりのような、初なこころの動きがある。それがとても魅力的だ。

 「非詩一篇」の最後の5行。

自然界では常温のまま
絶えず原始転換が行われているという
フランスのルイ・ケルブランという科学者の説で
いまのところあまり信用されている気配はないが
わたしはすすんで信用しようと思う

 「愛」は「すすんで信用」することだといえばいいだろうか。
 渋沢は西脇の詩を、そこに書かれている植物を、その思いを「すすんで信用し」、さらにその信じる力で西脇の見逃していたものを見る。そして、新たに渋沢が見たもの、それこそが西脇の見たかったもの、西脇の「希い」ではないかと書き進める。
 「思い」は過剰に進む。そして、進みすぎて「狂う」。しかし、「ホモ・デメンス 狂えるもの・ヒト」(「ホモ・メデンス」)という自覚があれば、それは単なる狂気ではない。「愛」というものだろう。



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『渋沢孝輔全詩集』を読む。(25)

2006-06-08 22:46:08 | 詩集
 「ショパンへの鎮魂歌 朗読のための」(『綺想曲 Capriccio 』)にも「思う」に派生することばが出てくる。「思い出す」。

わたしたちは今
きみのことを思い出そうとしているのだが
すでに旋律は鳴りはじめていて
その音の流れに浸りさえすれば
容易にきみのすべてを思い出すことができる
ついでにわたしはかつて通過した
きみの国での数々の不快な光景をも思い出す
(略)
だが 自然の大地だけは
われわれの国からはもはやうしなわれてしまったものを
懐かしく思い出させてくれもした

 「思い出す」ということばは、ここでは二通りにつかわれている。「きみの国での数々の不快な光景をも思い出す」「懐かしく思い出させてくれもした」。これは実際に渋沢が知っていること、体験したことを「思い出す」。普通、人がつかう思い出すは、こういう意識の動きだ。
 だが、「きみのことを思い出そうとしている」「きみのすべてを思い出すことができる」は少し違う。渋沢はショパンと知り合いではない。「思い出す」対象のショパンは実際のショパンではなく、渋沢が音楽を通して知っているショパン、さらにはそれまでに誰かによって語られたショパンである。
 このとき、渋沢は、ショパンを思い出すというよりは、正確には、ショパンという対象に対して渋沢自身の「思い」を積み重ねていると言えるだろう。そこで語られるのはショパンそのものではなく、ショパンに対する渋沢の願いであり、祈りである。

 同じような「思う」が、渋沢自身のことばではなく、ジョルジュ・サンドのことばとして詩のなかに引用されている。ジョルジュ・サンドは

「私はあの人が余りに繊細で、余りに洗練されて、われわれ
 の粗野で重苦しいこの地上の生活に永いあいだ生きるため
 には余りに完全すぎる性格だと思う」とも書いている

 これは単に「思う」というよりも、あるいは単なる人物の批評・定義というよりも、愛によって引き出された願いであり、祈りである。
 「思う」ということばを渋沢がつかうとき、そこにゆったりした感情が流れるのは、そこに愛が存在するからだろう。

きみの希いが
届くべきものに届くのはいつのこと

とは、この作品の冒頭の2行だが「希い」が、あるいは渋沢の愛というものかもしれない。渋沢はこの作品で、ショパンを思い、ショパンの「希い」を想像している。ポーランドへの愛を忘れなかったショパンを描くことで、愛そのものを思い描いている。
 そして、そういう想像を単に「思う」ではなく、「思い出す」と書く。
 ここには「思う」よりも激しい願いがこめられていると私は感じる。
 「思う」対象は、いままで存在しなかったものでもありうる。しかし「思い出す」ものは必ず体験したもの、すでに存在したものでなくてはならない。(「きみの国での数々の不快な光景をも思い出す」「懐かしく思い出させてくれもした」のように。)
 渋沢は、いわばショパンを取り戻そうとしているだ。かつて存在した(これは事実である)ショパン、その「希い」を、ショパンにかわって、今、ここに取り戻そうとしている。それが「思い出す」ということばにこめられた意味である。そして、それは同時に、渋沢がショパンとなって生きるという意味でもある。

 「鎮魂歌」とは、単に死者へのなぐさめのことばではない。死者の「希い」を自分自身の願いとして生きることだ。「思い出す」とは、そういうことだ。
 ここに『行き方知れず抄』(1997)に通じることばの動きがある。

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