昨日のSF大会オープニングの写真説明で野田昌宏さんのお名前が間違っておりました(「昌弘」となっていました)。お詫びして訂正いたします。
このことを電話で教えてくださったTさん(ありがとうございます)が、その後、ついでに(というか、こちらが本題だったのかもしれない)14日の日記で紹介した2冊の文庫本のカバーについて、
「ハヤカワのやつの方は萌えではなくて、単にマンガの絵を使ってあるだけです」
と、断言なさる。
ポール・J・マコーリイの『4000億の星の群れ』のことですね(ジャンプして早川書房の「新刊案内」ページが表示された場合は、一度「戻る」ボタンを押し、もう一度クリックしてみてください)。
うーむ、これは「萌え」線ではないのか。
もう1冊のアン・ハリス『フラクタルの女神』の方については何もいわなかっので、こちらは「萌え」の対象と見ていいらしい。
どこが、どうちがうのか?
家の者に聞いてみました。
妻なる女性――「どちらも好きじゃない」
20代前半の息子――「『4000億――』は明らかに違う。『フラクタル――』の方もビミョー」
「侘び・寂び」の世界もいわくいいがたいところがありますが、今やそれと並ぶ日本文化のキーコンセプトとなった「萌え」も同様なようですね。
勝手に推測するところでは、萌えの場合、露骨に成熟した女性のエロスを感じさせてはならないのではないでしょうか。無垢で、可愛くて、親しみやすい存在であって欲しい、エロスを本人が強く自覚していてはいけない――そんなような気がする。
Tさんは「萌えは難しいから、うかつに使わない方がいいですよ」と助言してくださる。
でも、まあ、誤解を正すところから正確な理解に到達するしかないので、今後も何か気になった場合は使うつもりです。変だと思われたら、厳しいツッコミを入れてください。