同館で来年7~9月開催予定の「日本SF展」プレトーク。
豊田さんはSF作家としてデビューするかしないかの頃、当時、黎明期を迎えていたテレビアニメのシナリオライターとして活躍されています。あらましは豊田さんの著書『日本SFアニメ創世記』でわかりますが、今日はそのあたりを踏まえ、手塚治虫さん、星新一さん、小松左京さんらのエピソードや、アニメ制作の裏話などを1時間半あまり語られました。
そもそもは、SFコンテストで知り合いになった平井和正さんが「8マン」で桑田次郎のマンガ原作募集に当選したことがきっかけ。
「8マン」は〈少年マガジン〉連載で人気を呼び、当時、フジテレビが「鉄腕アトム」、日テレが「鉄人28号」とアニメで高視聴率を稼いでいたのを見たTBSが「8マン」をアニメ化することに。平井さんに誘われた豊田さんもシナリオライターとして参加し、シナリオの初歩から教えてもらって「エイトマン」(アニメ化タイトル)を作った。
この時、半村良さんも1作参加し、チョロッと「ジェームズ・ボンド」を登場させたというエピソードが可笑しかった。
桑田次郎が起こした拳銃所持事件で「エイトマン」が終了した際、豊田さんは手塚治虫さんに見込まれ、「鉄腕アトム」のシナリオに参加。幾多の作品を生み出した。
ということで、その頃の手塚さんのエピソードが多数、紹介されました。
手塚さんは作品を世に広めることには熱心だったが金勘定は眼中になく、〈サンデー毎日〉に「手塚治虫は大阪人だから商売上手」と書かれた時、社内では「そうだったらいいのになあ……」という声がしきりだったとか。実際、虫プロは多額の借金のため行き詰まりました。
あと、小松左京さん、田中光二さんと3人で原案をつくった「猿の軍団」と「宇宙戦艦ヤマト」の放映時間がかち合って、「ヤマト」のプロデューサーは豊田さんを「ヤマト」原案からSF設定に格下げしたとか、興味深い話題が色々。豊田さんは早口ですから、内容的には2時間半ぶんぐらいあるのではないかと思ったほど。
会場には、話題にのぼった星新一さんの娘・マリナさん、小松左京さんの秘書・乙部順子さん、SF作家クラブ会長・東野司さんらの姿もありました。