朝はテレビ朝日の「題名のない音楽会」を視聴。
「難しいピアノ曲を弾く音楽家たち」と題して、福間洸太朗さんと森下唯が出演していました。内容はタイトルどおり。2人が難曲を(難なく)演奏。楽しかった。
司会の五島龍さんがよく知るバイオリニスト兼作曲家のパガニーニを例に挙げ、彼が難曲を作って披露していたというところから、その影響を受けたピアニストのリスト、リストと同時代のアルカンへと話をつないだあたりに、構成の妙を感じました。短い時間に手際よく詰め込む制作者も見事。
さて、昨日のスキーター・デイヴィスの話の続きになりますが、彼女がソロ歌手として最初に飛ばしたヒットは、1958年の「Lost to a Geisha Girl」だということです。
この曲は、ハンク・ロックリンの「Geisha Girl」へのアンサーソングだと紹介されています。
どちらの曲もまったく知りません。さっそくYuotubeで聴いてみました(こちらで両方の曲を続けて聴くことができます)。
スキーターの曲はハンク・ロックリンの元歌とまったく同じメロディーで、歌詞だけが違っています。完全なアンサーソングといえましょうか。
ハンクの曲はカントリーチャートで4位、スキーターは15位まで上ったといいますから、どちらもそれなりのヒット。
ハンクは「理解しがたい恋の歌を聞いたことがあるかい? 日本のお茶屋で出遭った彼女は、東洋の服をまとった美しいゲイシャ・ガール。何千マイルも旅して、彼女に会いにゆくことになるなんて」と歌い始め、「海のそよ風が吹くところ、僕は生きがいと真実の愛を見つけたと、故郷の人たちに告げてくれ」と結びます。
対して、スキーターは、「あなたが日本から寄こした手紙を読むたび、私の手は震え、便箋はガサガサと音を立てるのよ」と、ひどいショックを受けたことを隠しません。
「あなたは異国の女に、男としての弱さを悟らせた。お茶屋の薄暗い明かりの下で、寂しい心が猛り狂ったんだわ。あなたは私を捨てて、東洋風に着飾ったゲイシャ・ガールと一緒になった」と、恨みつらみを吐き出すのです。
ふたりとも「geisha」を「ギイシャ」と発音していますね。綴りに引きずられてしまうのでしょう。
それにしても、1957~8年に、こんな曲がアメリカで流行っていたとはねえ。エキゾチックに飾り立てられた日本のイメージが微苦笑を誘います。