星敬さんが亡くなられ、今日は八王子市斎場にてお別れ。
「ホシケイ」と呼ばれて親しまれていましたが、本名は「ほし・たかし」。
1956年1月17日生まれですから、享年63となります。
「日本SF研究家」という肩書がいちばんふさわしいのでしょうか。SF全般に通じ、情報量、その活用の仕方についての力量は他に例を見ませんでした。
SF仲間にもっとも知られていたのは彼の提供してくれるSF出版物リスト。次々と出てくるSFと関連書籍の情報を網羅し、日本のSF出版がどうなっているのかを知るためには不可欠でした。
編集者またはプロデューサー、あるいはアドバイザーとして、星さんのお世話になった出版関係者は数知れないと思います。専門学校などの講師として後輩の指導にもあたり、〈SFマガジン〉のショートショート投稿欄「リーダーズ・ストーリィ」の選者もずいぶん長く務められました。
ひとことで言えば、裏方として日本SFを支えてきた第一人者。彼に代わる人材はいません。
私(森下)よりは5歳下になりますが、SFの仕事を始められたのは星さんの方がずっと早い。
豊田有恒さんによれば、下北沢の書店で声をかけられたのが、そもそもの出会いだったとか。
SFファンの星敬さんとしては、「あ、豊田さんだ!」とうれしくなり、声をかけずにいられなかったのでしょう。当時、彼は大学浪人だったといいますから、18歳ぐらいの時。以来、豊田さん宅に出入りして、資料収集や整理のお手伝いをしたことから、そのままSFの仕事に入ることになりました。
1983年には豊田さんが社長となってSFプロダクション「パラレル・クリエーション」を設立。星敬さんは実働スタッフの中心となりました。パラクリには、イラストの米田裕、小説の岬兄吾、科学評論の鹿野司さんらが所属。他にもとり・みきさんや大原まり子さん、久美沙織さん、火浦功さんらが折に触れて集まり、SF梁山泊のような様相を呈していました。
パラクリは91年に解散しましたが、多くのクリエイターを産出。その陰には星敬さんの献身的な働きがあったのです。
しばらく前から透析が必要な状態でしたが、活動にさして支障はなく、先週も仕事関連の電話を編集者としていたとのこと。急な容体悪化での他界でした。
森下にとって忘れてならないのは、アンソロジスト/編集者としての星さんとの関わり。
彼が編纂した『 銀河の夢(ギヤラクシイドリーム)―新鋭SFオリジナル秀作集』(集英社文庫コバルト・シリーズ)、『恋する銀河―ロマンチックSF傑作選』(同)、『タイムトラベルSF傑作選』(集英社文庫)にはそれぞれ短編を収録してもらいました。
公私にわたりお世話になり、親しく付き合ってくださったホシケイさん。どうもありがとうございました。ゆっくりお休みください。