ディレイニーの『アインシュタイン交点』の話ではありません。光瀬龍さんの『百億の昼と千億の夜』のこと。
〈SFマガジン〉5月号の巻頭に掲載されている宮野由梨香「阿修羅王は、なぜ少女か」を読みました。第3回日本SF評論賞受賞作。受賞時のタイトルは「光瀬龍『百億の昼と千億の夜』小論 旧ハヤカワ文庫版「あとがきにかえて」の謎」でした。
面白い。『百億の昼と千億の夜』を光瀬さんの私小説として読むことにより、ペンネームの由来や恋愛、結婚事情などを絡めた光瀬さんの秘密――というか、人生に対する複雑な姿勢が読み解かれる。なぜこの作品が女性読者に大事にされるのかも、なんとなく分かってきます。
こういう文章を読むと、光瀬SFを無性に読み返したくなりますねえ。
先日は『小松左京自伝』(日本経済新聞社)を読んで、小松SFを読み返したくなった。その前は『星新一 一〇〇一話をつくった人』(新潮社)で星さんのショートショートを読み返したくなった。日本SFにおける、小説と評論の新しい関係が始まったような気がします。
テキスト間の異同ですとか、阿修羅王登場作リストなど、断片的な知識だったものが整理される楽しさもありました。
宇宙塵掲載作は単行本未収録とのことですが、東キャナル市民の会の会報で読み、野性時代再掲時は立ち読みしたように記憶しています。
生前の光瀬さんと御交誼の機会があったならなあと思います。
野性時代といえば、以前番組主題歌の話題などで中学時代の遠距離通学に触れておられましたが、ご経験が反映したと思われる野性時代掲載の短編があったと記憶しています。こちらも単行本未収録でしょうか。惜しまれます。
>小泉さん
〈SFマガジン〉、買ってやってくださいね。編集部も喜ぶと思います。
>斉藤さん
〈野性時代〉にはいくつか短篇を書いたはずですが、どれもそのままになっています。切抜きが家のどこかにあるはずですが、出てくることがあるかどうか……。