惑星ダルの日常(goo版)

(森下一仁の近況です。タイトルをはじめ、ほとんどの写真は交差法で立体視できます)

極東文明

2005-10-13 21:25:41 | 学問
 今度は4000年前の麺ですか。先日は1万6000年前の絵文字が見つかったというし、中国文明は奥が深い。

 麺はアワやキビが材料らしいから、今の麺とは違いますが、茹でて鉢に入れていたとすれば、食べ方は同じ。どんな味付けをしていたのだろう?

 絵文字が描かれた1万6000年前といえば、ヨーロッパはまだ氷河期まっただ中。西アジアが発祥といわれる農耕もまだずっと後の時代の話です。
 その頃、黄河上流の中国奥地で人類はどのような暮らしをしていたのか? この前読んだブライアン・フェイガン『古代文明と気候大変動』の記述から類推すれば、砂漠が拡大縮小を繰り返し、人々はそのまわりで土地の恵みを享受していたのかもしれない。
 これまで「最古の文字」とされてきたのはメソポタミアの楔形文字で、税の記録をつけたものといわれています。都市文明が起こって後のもの。
 今回の中国の絵文字はそれとはまったく意味合いが異なるのではないでしょうか。どちらかといえば呪術的な性格が強い? 漢字の祖先とされる甲骨文字とよく似ているのかもしれません。文字の歴史に新たな流れが生まれるのではないでしょうか。

 考古学は西洋中心に発達してきたので、どうしてもヨーロッパ文明に近いところでの研究が進んでいます。それとはかなり色合いの異なる極東の文明についても、これから大いに研究していただきたいところ。人類を見る目そのものが変わってくるように思います。


父と娘

2005-10-12 19:54:12 | 日記・エッセイ・コラム
 話ではそういうことがあると聞いたりしていたのですが、実際にそうなんだと知るとやはり相当のショックですね。お父さん、可哀相。

 丘の上にあるキリスト教系のK学園はいわゆる「お嬢さま校」。しつけが良くて、経済的にも恵まれていて、頭も良そうで……といった感じの少女たちが通っています。
 今日、夕方の散歩の途中でその学園の中学生2人が並んで下校するところへ一緒になりました。数メートル離れて歩いていると、向こうから来たオジさんが彼女たちの1人に「お父さん、元気?」と問いかけました。知り合いみたいです。
 声をかけられた女子中学生は「はい……たぶん」という答え。
 「たぶん」というのはちょっと変ですが、オジさんが通り過ぎた後で、その子が連れに向かっていった言葉がさらに怖かった。
 「というか、最近、会ってない。会っても……見ない」

 特に不機嫌そうでもなく、当然のこととしていってる感じで、もう1人の子も別に驚いているふうもありませんでした。
 「会っても……見ない」というのは、存在を無視しているということなんでしょうねえ。お父さん、つらいだろうなあ。
 こういう時期があっても、時間が経てばまた普通に顔を合わせ、会話ができるようになるのでしょうか。その日が早く来ることを祈ってます。


『精霊探偵』

2005-10-11 21:02:41 | 本と雑誌
 読み終わりました。梶尾真治さんの『精霊探偵』(新潮社)。

 この作品のトリックが持つ衝撃はどうしてもアレ(タイトルを書くとどういうことだかすぐにわかるので書けませんが)を思い出させます。アレと同じではない。もしかしたらヒントぐらいにはしているかもしれませんが、ひと捻りもふた捻りも加えてあるので異なるトリックといっていいものになっているといっていいと思います。
 でも、どうしても思い出さずにはいられないのは、アレがあまりにも強烈な印象を残しているからでしょう。

 しかし『タイムマシン』だって、2度、3度と使われることでSFのひとつのサブジャンルになったのです。この種のトリックも次々と新たな工夫をすることで立派なジャンルとなるのかもしれません。

 この作品は『OKAGE』や『黄泉がえり』と同じように熊本SF。
 で、私にはよくわかりませんが、熊本ではラーメン屋さんで豚足を食べさせるのでしょうか。主人公の助手をつとめる小学生の女の子がラーメン屋で豚足にかぶりつくところが、なんともいえず可愛い。今度、熊本ラーメンの店へ行ったら豚足があるかどうか、気にかけてみます。

 全体としては、とても気持ちの良い小説。主人公と彼を取り巻く人たちの関係が実に心地よいのです。昨日書いたように熊本市内の描写も心和むものがあります。土地と、そこに住む人たちへの愛が注ぎ込まれているせいでしょうね。また次の熊本SFを読みたくなりました。


地図好き

2005-10-10 20:38:24 | 日記・エッセイ・コラム
 ウェブで熊本市中心部の地図をダウンロードして、梶尾真治さんの新作『精霊探偵』(新潮社)を読書中。
 たとえば98~99ページには次のように書かれています――

 その日、歩いて練兵町のマンションを出た。
 熊本城の北西に位置する熊本博物館に行こうと思っていた。
 ……(中略)……
 中央郵便局から、国立病院の裏手へ通じる道に抜けた。その一帯も、かつては、熊本城内であったため、石垣がやたらと多い。
 法華坂を登り、熊本城公園二の丸広場に入った。……

 ふむふむと地図で確認しながら、主人公の「背後霊が見える探偵」の足どりを確認します。これが楽しい!

 いったいなぜだかわからないけど、私は地図が好きみたい。やたらに好きなようです。ヒマさえあれば地図を眺めて喜んでいます。
 小学生の時は、そうでもなかったように思います。中学生の頃から国土地理院発行の五万分の一地図を買っていました。高校で始めた山登りでは必携でしたが、地図を読むのはそれよりも前から。地図で眺めては、ここは実際にはどんな地形だろうかと想像しておりました。

 だから『精霊探偵』のように、詳しい地名が出てくる話も大好き。大概、地図で確認しながら読みます。
 そういえば昔『初恋のウィーン』(文春文庫)というのを書かせてもらった時、ウィーンの地図を眺めながら若き日のインディ・ジョーンズを動きまわらせましたっけ。あれも非常に楽しかった。読むのも書くのも地図がらみのものには目がないのですねえ……。

 いや、『精霊探偵』がおもしろいのはそれだけではないんですよ。『黄泉がえり』にも増して、生きる者と死んだ者との想いが交差し、存在の愛おしさがつのります。読了後、また改めて感想を書くつもり。


つつ

2005-10-09 20:40:31 | うんちく・小ネタ
 そうか「つつ」は星のことだという説もあるのか。

 昨日の日記に対する新城さんのコメントで、住吉大社の祭神の名に「筒」があり、星を表すかもしれないということを知りました。
 住吉さんの祭神「住吉大神」は次の三座の神々の総称だとか――

  • 底筒之男(そこつつのお)
  • 中筒之男(なかつつのお)
  • 上筒之男(うわつつのお)
 天文関係の民俗を調べている人たちはオリオン座の三ツ星がこの神々だといっているようです。その場合「つつ」は星を表すことになる。

 手元にあった岡田精司さんの『神社の古代史』(大阪書籍、1987年)によれば、かの『大日本地名辞書』の吉田東伍がこの説だったそうです。航海の目印となる星を神として祀ったのだ、と。
 しかし岡田氏は、「そこつつのお」は「底ツ津之男」であり、「津=港津」のことだと、かの(またいってしまいましたが)山田孝雄(よしお)先生がいち早く提唱し、「地名と神名」という論文を書いた青木紀元氏も「神名というものは基本的にはほとんど地名である」といっているとして、こちらの説を支持しているのです。つまり、「つつ」は助詞の「つ」+「津」のことだろう、と。

 森下としては、昨日の考察のつながりもあって、「筒」=「星」を断固支持しますね。

 また勝手な想像に頼りますが、唇を尖らせて「つつ」と発声するのは、いかにも小さな星の輝きを真似しているように見えます。バカバカしいと思われるかもしれませんが、こうした身体性と言語の関係は案外無視できません。
 この線で考えれば、「つ」と唇を尖らせた後「き」と横に引き結ぶのは、小さな星の光を広げたもの、すなわち「月」を意味するとみることもできます。

 なぜ「つつ」が消え、「ほし」が残ったのか。これまた勝手な想像ですが、日本民族が成立する過程で海洋民の言葉が稲作民の言葉に圧倒されたのではないか。あるいは「つつ」は海の民の隠語だったのかもしれない。

 以前から不思議に思っているのは、日本では星に関する言い伝えが異常に少ないのではないかということ。ほとんど七夕の話(これとて中国渡来のものですが)しかないといっていいぐらいです。なぜなのでしょう?
 もしかしたら何らかのタブーがあったのかもしれません。古代日本には天文博士もいましたし、朝廷での天文の研究は熱心におこなわれていました。ただし、それは天皇(=北辰……北極星)の天地支配を占うためのものであり、下々の者がうかつに関与することではなかったのではないか。だから、星についての話を一般人は語ることができなかったのではないでしょうか。

 ああ、また勝手な想像ばかりしてしまいました。
 新城さん、どうもありがとうございました。