惑星ダルの日常(goo版)

(森下一仁の近況です。タイトルをはじめ、ほとんどの写真は交差法で立体視できます)

丸見え邸

2005-10-18 20:31:23 | 日記・エッセイ・コラム
 散歩コースはいくつもあるのですが、中でも気に入っているうちのひとつが農業高校の実習園の横を通る小道。フェンスの向こうが竹林になっていてサヤサヤと心地よい。初夏にアケビの花を見ることができるのもここです。

 最近、その道の南端に家が建ったのですが、この家の道路に面した壁のほとんどは透明ガラスで出来ています。建築家のポリシーなのか、住人の趣味なのか、ガラスの内にも外にも目隠しになるようなものは何もなくて、つまり、中が丸見え。夕方には電灯がついていて、さらにはっきりと見えてしまいます。
 フローリングの床の上には最低限の椅子とテーブルが並べられ、自転車やスニーカーも置いてあります。脚立のようなハンガーには服も掛かっているので、人が暮らしているのは確か。一度は、女の人が椅子に腰掛けて本を読んでいるのを見ました。今日はテーブルにノートパソコンが載っていたな。
 2階の奥の一角が大きなボードで仕切られていて、その陰にベッドが置かれているようです。さすがにそこは見えません。

 こういう家に住むのには、度胸がいるでしょうねえ。人通りが少ないところとはいえ、公道に面している。散歩の人がけっこう通るはずです。四六時中、人の目を気にしていなくてはならない。
 逆に見れば、外の景色を自宅の延長にしているので、開放感は満喫できるでしょうね。さらにいえば、泥棒に入られる危険も少ないかもしれません。
 とはいえ、どう考えてもあそこに住む勇気は、私にはないですね。動物園の動物になったような気がするに違いない。

 いちにち経っても、やっぱり嬉しい千葉ロッテマリーンズのパリーグ優勝。
 31年前の金田監督での優勝は記憶にありません。応援を始めたのは有藤さんが引退、監督に就任した1980年代後半から。92年に川崎球場を去る時には「多摩地区に来ないかな」と願ったものでした。
 川崎球場ではガラガラの外野席にマージャン台を持ち込んで、ゲーム中にマージャンやってる人がいましたっけ。バレンタイン監督をクビにした理不尽なゼネラルマネージャーに憤慨したり、98年に18連敗というワースト記録にあきれたり。色々あって、家族には「応援してもしょうがないんじゃないの」などと言われ続けて来ましたが、今度の優勝ですべてが良き思い出。
 阪神との日本シリーズも良い試合を期待しています。


決壊

2005-10-17 21:30:55 | 日記・エッセイ・コラム
 今、8回裏のピンチをしのいだところ。頑張れ!

 今日は一日中、雨。時々かなり激しく降りました。散歩は大きな傘とゴム長で。

 落ち葉の季節がそろそろ始まっていて、道端には枯葉が散っています。雨の日にはそれが流され、道路脇の排水口の格子に引っ掛かります。小さなダムが形成され、細長い水たまりが出来ているのです。
 本来なら歩きにくいと腹を立てるところですが、ゴム長なのでへいちゃら。
 それどころか、逆に、楽しみも。それは……。

 格子にたまっている落ち葉を足でグイッと押しどける。当然、ダムは決壊します。すると、溜まっている水が「ドドーッ」と音を立てて排水口に落ちてゆく。これが嬉しいのです。

 敬遠するはずの水たまりがお楽しみの宝庫に見えてくる。雨の日の外出はゴム長に限ります。


プレーオフ

2005-10-16 21:32:38 | 日記・エッセイ・コラム
 昨夜の悪夢といい、今日の無念な結果といい、マリーンズは打てない松中にやられているようなところがありますねえ。もっと強く向かっていって欲しかった。
 気を取り直して、さあ、明日こそ!

 昼間、ヒヤシンスの球根を植えました。
 球根が増殖したので、今年は鉢ふたつ。
 酸性土壌を嫌うため、あらかじめ石灰を混ぜておいた土に、しっかりと元肥を施し、大きい球根は3個、小さいほうは5個をそれぞれの鉢に埋め込みました。
 ユリの球根もすでに埋めたので、合わせて来年の春が大いに楽しみ。

 こうして半年先へ向けて作業をしていると、気持ちの幾分かは2006年に飛んでいます。時の経つのがどんどん速くなってゆく、嗚呼……。


「谷岡ヤスジ展」

2005-10-15 21:36:49 | アート・文化
 雨の京都競馬場での2歳馬によるデイリー杯。マルカシェンクが尋常でない強さを発揮するのを見届けてから、自転車で三鷹へ。
 空は明るく、まだこちらは雨が降りそうにないと思いました。

 三鷹駅南口の三鷹市美術ギャラリーで23日まで開催されている「谷岡ヤスジ展」。谷岡さんは中野区と世田谷区でマンガ家生活を送ったようなのに、なぜ三鷹で? と思いましたが、なんにせよ、こういう展覧会が開かれるのはうれしい限り。

 1942年生まれの谷岡さんがデビューしたのは1959年、まだ高校に在学中だった。〈中国小学生新聞〉に「やっちゃん」という四コママンガを連載したのですが、丸っこい顔の登場人物たちは横山隆一さんの「フクちゃん」を思わせ、ギャグもすごく古典的。これは1965年頃に大人マンガを描き始めてからも、ほぼ同じ。飛び抜けた才能は感じられません。
 しかし、ただものでなかったことは、展示された持ち込み原稿の裏を見ればよくわかります。そこには、見てもらった編集者の言葉が細かくメモされているのです。
 採用されたか、されなかったかという「星取表」を作ったりもしている。
 1年ほどの間に絵柄が大きく変わり始めていることもわかります。
 しかし、そこから1970年の「メッタメッタガキ道講座」までの作品が抜けているので、作風の変化を細かく見ることができません。残念。

 それ以降の谷岡マンガの展示を見ていると、今でも笑ってしまいます。ひとコマひとコマがそれだけで可笑しいのです。突き抜けた精神が横溢している。
 そして、後期の村(ソン)のマンガの絵柄の良さ。にっこり、うっとりしながら見てまわりました。

 会場の一画には仕事場が再現されているのですが、あきれたのは机(座卓のような大きなもの)の左上隅に巨大な椰子の木のオブジェが置かれているのです。説明によると、本人らがバリ島で製作したという。あんな大きなものを作って、日本に持ち帰ったのだろうか?! とんでもない人だ。

 すっかりいい気分で見終えて外に出たら、強い雨が降っていました。京都の雨が早くもやって来た?
 うかつなことに雨具の用意がなかったので、近所のスーパーでビニル傘を買って帰りました。

 現在、午後9時半。4対〇で小林(雅)が登場してマリーンズの勝利まちがいなしと思っていたのに、9回裏に追いつかれ、延長戦に突入しています。どうなるのだろう?


喉を鳴らす

2005-10-14 20:35:29 | 日記・エッセイ・コラム
 ここ何年か気になっていた件がようやく片付き、肩の荷が下りた気分。ほんとにホッとしました。

 散歩の途中、畑の脇のゴミを漁っている猫がいたので、手持ちの餌(カリカリをいつも持ち歩いています)を少し分けてやる。
 猫は大喜びでむさぼり喰って、その時に喉が「うぐんぐ、をごんご」と大きく鳴るのです。よほど美味しかったのか。
 食べ終えると、もっと寄越せと前肢を振り回していましたが、そんなにたくさんは持っていないんだよ。「またな、バイバイ」といって別れました。でも、たぶんあの猫とは今日限りの出会い。