先日昔の職場の先輩たちと食事会をした時、私が今月末に行くネパール旅行の話になった。
「幾らかかるの?」と聞かれたので、10日ほどで大体30万円弱と答えると、ネパール旅行って意外に高いね、その値段ならヨーロッパに行こうと思ったら行けるという人がいた。
欧州旅行には今のところ関心がないので、ツアー料金は見ていないが、安いか高いかは私の旅の基準ではない。
「10日ほど海外旅行に出かける時間がある。行先はどこでも良い。コストパフォーマンスの良さそうなところを選ぼう」と考える人にとっては、ネパールとヨーロッパを旅行料金で比較するという方法もあるだろう。
だが私は旅というものは違うものだ、考えている。
角田光代さんの「しあわせのねだん」というエッセーの中に次のような一文がある。
「見知らぬ場所に旅行にいく。そこでなんにも見ないことは、じつはたやすい。何か見た気になって、知った気になって、理解した気になって、ああ楽しい思い出ができたと記憶するけれど、じつは何もみていなかったということは、よくあるのではないか。」
そして角田さんは「何を見たか、何を見なかったか、というのは、ツアー旅行か個人旅行かという違いではなくて、その場所でお金を使うか否かではないかと私は思うのだ」と続けている。
後段の部分には多少異見はあるけれど、「見た気になって実は何も見ていない海外旅行」ではなく「何かを見てこそ旅の意義がある」という考え方には大賛成だ。
そして何かを見る、何かを体験するという旅はやはり個人旅行でないと味わえないと私は考えている。
ネパール旅行の費用の内訳は往復運賃が13万円でトレッキング費用(ガイド・ポーター料金込み)を含んだ現地滞在費・交通費が1300米ドル(13.5万円)程度。それにビール代や多少のお土産代を含めて30万円なのだ。現地では安い山宿にも泊まるけれど、湖の中の贅沢なホテルにも泊まる。そのことを考えると高いとは思わない。
だけど高い・安いはそれほど問題ではない、と私は思っている。どれだけインパクトのある体験~大げさにいうとこれからの自分の人生に何か意味付けするような体験~ができるかどうかが旅の値打ちだと私は考えている。
音楽や芸術が好きな人はヨーロッパを旅するとよい。だけどどこそこにガイドブックに載っていた建物があったとか絵があったということを確認するだけの旅はもったいないと思うのだ。
国内の旅についても同じことがいえる。ロープウエイに乗って山の頂上から見る景色と汗をかいて自分の足で登った山の上から見る景色では感動が違う。夏に一般道から登ってみる景色と自分で雪を踏み分けて登った冬の頂上から見る景色はまた違う。
旅は多少の苦労があってもどれだけ深く対象に入り込むことができるかでインパクトが違ってくるのだと私は思っている。