今日(12月1日)日川渓谷沿いの二つの名刹を参拝した。昨日大菩薩峠から石丸峠を歩いた後、日川沿いの民宿・高山荘に泊まり、今朝朝天目山棲雲寺と天童山景徳院を参詣したのだ。
景徳院は武田勝頼一家の菩提寺で昔参詣した記憶がある。もっとも大菩薩峠の塩山側麓には雲峰寺という武田家の祈願寺があり、そちらの参詣と混同しているかもしれないので再度拝観することにした。
景徳院はやや標高が低く一部に色鮮やかに紅葉した楓があった。
武田勝頼のお墓にお参りする。
ふと1カ月ほど前大月の岩殿山に登ったことを思い出した。岩殿山は武田家重臣・小山田信茂の居城だった。武田勝頼は織田信長に攻め込まれて甲斐から逃げ出す時、信茂を頼ったが信茂に裏切られ景徳院に近い田野の地で自裁した。
期せずして短い間に武田家滅亡に関わる史跡を歩いていたことになった。
名刹でご朱印を頂こうと朱印帳を持っていったが両寺ともご住職はご不在だった。民宿のおかみさんの話では棲雲寺のご住職は鎌倉の名刹の方にお勤めに行かれているとのこと。
日川沿いの集落は過疎化で檀家が少なくなり、寺院経営が苦しいという話だった。
大菩薩峠周辺は手ごろな山歩きのフィールドだし、日川渓谷も釣りや紅葉見物で賑わいを見せるようだ。だが首都圏から近いので日帰り旅行の人が多く、宿泊客は少ない。
景徳院から甲斐大和駅までは2㎞程度の道を歩いてくだった。国道20号線に向かって下っていくと笹子トンネルの上の雁ケ腹摺山が大きく聳えてきた。勝頼が岩殿城に行こうと思うとこの山を越えていかねばならなかったのだ。信茂の裏切りがなくても、敗戦で疲れ切った勝頼主従にはこの山を越える力はもはやなかったかもしれないなどと考えながら私は人気のない甲斐大和駅に到着した。