昨日(4月25日)でネパール大震災から1年が経過した。
内外のメディアが復興の状況を取り上げているが、復興の足取りは極めて遅い。
WSJはいくつかの数字でその状況を説明している。
【完全に再建された学校や住宅は0(ゼロ)】
復興庁は住宅と学校の再建プログラムを主導しているが、一部地域の家主に再建資金が交付され始めたのは今月になってからだ。学校建設の入札は開始されたばかりで、対象はごく僅かにとどまる。
【シェルターに住んでいる人400万人】
赤十字とネパール政府によると地震で全壊または半壊した家屋の数は80万棟以上で、国際赤十字の推計では400万人が依然として仮設シェルターに住んでいる。ネパールの総人口は3千万人だから7.5人に1人はシェルター住まいが続いていることになる。
【出稼ぎ者は56%減少】
ネパール経済は出稼ぎ労働者からの送金に大きく依存しているが、家族援助のためなどで出稼ぎに出る人が減っている。震災後から昨年11月までの間に出稼ぎ労働者は56%減少した。ネパール経済はますます疲弊しているようだ。
【経済成長率は1.5%に鈍化】
アジア開銀の予測では、2015年度(2016年7月15日まで)の国内総生産成長率は1.5%に留まる見込み。これは6年ぶりの低成長。復興作業の遅れに加え、最大の貿易相手国であるインドとの数か月にわたる国境封鎖や旱魃などが主な原因だ。
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外国政府や支援団体は41億ドル(約4,600億円)の支援提供を表明しているというが、必要とする人への支援は中々届かない。その理由は何なのか?
それに対する一つの見解がWSJに投稿されていたので紹介したい。
(当該記事はEarthquake in Nepal : Goverment stands in the way of rebuilding villagere's lives)
記事は「政府は8千人以上の死者が出た天災を人災に変えつつある」と政府が復興の障害になっていることを指摘する。
具体的に見てみよう。政府は国際的な支援活動を歓迎するのではなく、むしろ国際機関等の関与を制限し、資金を首相が統括する救済基金へ拠出することを求めている。政府高官は2010年のハイチ震災の時の国際的な支援の失敗を指摘し、彼等の要求の正当性を主張しているが、本当の動機はもっと単純なものだ。
それは支援資金から公共投資向けの大きな予算を引き出し、それをネパール共産党が率いる与党連合の支持者の便益に回すためである。
たとえば震災直後に支援のため送られた布団について40%の関税が払われるまで税関は通関させなかった。また共産党は昨年10月にオリ首相が選出されるまで復興庁の発足を妨害していた。そして政権発足後共産党は復興事業に経験はないが、同党に忠実な人物を復興庁の責任者に任命した。
復興庁が発足したのは震災後9カ月経った今年1月だが、内紛のため動きが妨げられている。
政府は震災で家を失った60万戸について再建のため1戸当たり1900ドルの現金支給を約束し、申請が今月始まったが、読み書きができない村人たちは書類作成にあえいでいる。
また政府は新しく複雑な建築基準を設定した。この建築基準に基づく申請許可と作業プレセスは地方の役人にとって新しい汚職の機会となっている。
新しい建築基準による住宅は耐震性を供えていると思われるが、一方でネパールの気候に適していないので、ネパール人はむしろ仮住まいのシェルターを強化してしばらくそこに住むことを選択しているようだ。
2006年に終結した内戦は政府の無能力さと汚職の間接的な原因となっている。共産党が政権の座に戻ったことで、総ての政党に公共投資を食い物にするチャンスがでてきた。
新憲法の発足により、連邦国家が発足し、カトマンズ中央政府の官僚主義が弱まり、責任能力が改善することが期待される。だが当面政府が自己の利益を極大化するため復興作業を足止めするという事態が続きそうである。
一つには復興大臣が若く古株の議員をコントロールするのに苦労している、さらに被災者に現金を渡すと酒に消えてしまう危険性があるのでレンガ等の現物支給+現金を配布しているがレンガ等が品薄で遅れている、根本的な問題は一口でいえば政治の無能力、汚職が当たり前のような事で物事が扱われてきたので政府は危機感もない、彼の予想では長い時間を必要とすると言っていました。しかし、国連、外国NGOなどの援助もあるのでこれを機会にネパール政府が少しでも変化することを期待するといっていた。