徒然草第二百二十九段は技と道具の話だ。
「よき細工は、少しにぶき刀を使ふといふ。妙観が刀はいたくたたず」
意味は「腕の良い細工師は少し切れ味が落ちる小刀を使うという。彫刻の名人、妙観の小刀はあまりよく切れない」ということだ。
さて兼好法師のこの意見が職人さんと刃物の関係すべてに当てはまるかどうかはわからない。怪我すると危ないと思って切れ味の悪い包丁を使うとかえって怪我をするという話を聞いたことがあるような気がする。刃物が切れないと力が入り過ぎ勢い余って怪我をすることがあるようだ。
要は自分の技量や使い方にあった切れ味の刃物を使うのが一番良いということなのだろう。
切れ味というと人を使う上で「カミソリのように頭の良い人間を使うか?」「カミソリほどには切れないが、少々のことでは刃こぼれしないナタのような人間を使うか?」というのは人事の要諦のような気がする。
私は後者のような人材の方が好きだ。カミソリのような人間は机上の計画が順調に進んでいる時は強みを発揮するが、想定外の事態が発生すると対応力が落ちることが多い。ストレス耐性が低いのだ。
細工物に少しにぶい刃物が良いかどうかはケースバイケースだろうが、ビジネスパーソンは切れ味が鋭過ぎるより少し切れ味が鈍いところがある方が良い。なぜならそういう人間の方がストレス耐性が高いし、敵も少ないからだ。贅沢をいうと「鈍いところがある」よりは「鈍いところがあるように見える」のが最高なのだが。
ところでコロナウイルス感染防止で自宅籠りの時間を利用して徒然草を読み返していた。読み返したすべてをブログに紹介した訳ではないが、紹介した部分をマインドマップで示すと次のようになった。
カテゴリーは私が勝手に分類したものだが、兼好法師の関心事が多岐にわたっていることが改めて分かる。また650年ほど後の現在読んでも共感する部分が多いし、話の進め方など参考になるところも多い。
コロナ騒動も人生万事塞翁が馬である。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます