猛暑やコロナ感染拡大の中で、不要不急の外出を控えて、という警告が目立ちますよね。もっとも外出を控えてボーっとしているとそれはそれで精神衛生上好ましくありません。中国の古典(礼記)に「小人閑居して不善をなす」という言葉があるとおり、小人(つまらない人間)は暇を持て余しているとろくなことはしません。
暇をつぶす手頃な方法は読書でご同輩の中にはや時代小説や歴史小説をこの時期耽読している人も多いと思います。一般に「歴史小説は歴史的事実を元に人物を描き、時代小説は架空の人物を描く」と説明されますが、その線引きはあいまいです。時代小説の代表的作家として藤沢周平をあげ、歴史小説の代表的作家として司馬遼太郎をあげる人がいますが注意が必要です。市井に住む人々の人情物語などを描いた藤沢周平にも新井白石の生涯を描いた「市塵」という歴史小説があります。また司馬遼太郎の小説のあちらこちらに「見てきたようなウソ」があるのもご存じの方は多いと思います。例えば斎藤道三の生涯を描いた「国盗り物語」の中に織田信長に嫁がせる愛娘・濃姫に短刀を渡し、信長がうつけなら刺し殺してこいという場面がありますがこれはまったくの作り事。娯楽のために読む歴史小説ですから、ウソをあげつらう必要はありませんが、ウソが多くの国民に中で歴史になってしまうのは怖いことだと思います。
私は30年位前は司馬遼太郎のファンで歴史を面白くするウソを楽しんできたのですが、だんだん飽きてきて十数年前からは時代小説であれば中村明彦氏の小説を楽しむようになってきました。中村明彦氏は会津藩の藩祖・保科正之を描いた「名君の碑」など多くの小説があります。もちろん氏の小説にもフィクションはありますが、氏の史論やエッセーを合わせて読んでいくと歴史的事実に向き合おうとする氏の姿勢がわかり、ああ、この作家の話は歴史的事実で裏打ちされているな、と感じます。
ただここでやっかいなのは「歴史的事実」です。「歴史的事実」は新しい資料の発見などにより書き換えられる宿命を持っています。時間と文献解読力があれば、自分で一次資料に当たるとよいのでしょうが、それは手に余る作業です。そこで私は時々信頼できそうな歴史学者が書いた人物評伝などを読むことにしています。ミネルヴァ書房が出している「ミネルヴァ日本評伝選」などです。娯楽性は低い本ですが、辛抱して読んでいくとだんだん面白くなってきます。
不要不急の外出自粛要請はまだまだ続きそうですから、少し辛抱のいる読書をするチャンスかもしれませんね。
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