「70歳まで働くことができる能力」については2回のブログで言いたいことの過半は言ってきたが少し残した部分があった。その後新聞で2つのトピックを見かけたので、そのトピックに言及しながらまとめとしたいと思う。
トピックの一つは「PISAという国際的な学力試験で日本の読解力がOECD79ケ国中15位に低下した」という話で、もう一つは日経新聞が取り上げていた「経団連が来春の賃金交渉でジョブ型雇用を前面に押し出していく」という話だ。ジョブ型雇用については今年の春に話題になっていたので目新しい話ではないが・・・
この2つのトピックに絡めて「70歳まで働くことができる能力」を再度考えてみよう。
まずは文章力の問題である。正確な文章、つまり誰が読んでも同じ解釈しかできないマニュアルのような文章を正確な文章というのだが、これがないと世の中の仕組みは機能しない。法律・会計・モノづくり・システム開発などあらゆる分野で基本になるのは事実を正確に記述する要件定義力である。つまり国語教育の中心を「文章から正確に事実を読み取る」ことと「事実を正確に文章化する」ということに据えなければならない。まず国語教育、日本語教育である。
PISAの問題を見るとその次のレベルの「考える」力が求められていた。つまり学習して判断材料となる知識を習得し、その知識を利用して現実の問題を考えることの重要性が問われた。日本の学校教育は正解を急ぎ過ぎる。より正確にいうとアウトプットの正解を求め過ぎている。ところが世の中には正解は一つでないことがある。いや実社会では正解が一つでないことの方が一般的だろう。そこで問われるのは正解に至るプロセスなのだ。つまり正解を導く論理的思考能力が問われている訳だ。
だから70歳まで働くことができる能力で大事なものは論理的思考能力とそれに基づく説得力ということができる。
ジョブ型雇用について、私は職業の流動性の観点から重要だろうと考えている。従来の日本の職制は長期雇用を前提に、個々の従業員のアサインメントをあいまいにして、「あれも頼む・これもあなたの仕事だ」というスタイルが多かった。この方式では仕事を理解するのに時間がかかるので、長期に働いている人が有利になる。
弊害はアサインメントがあいまい=個々の仕事がマニュアル化されない・要件定義があいまいということで業務の合理化を進め難いことにある。
だが時代は変化している。変化の背景には私は総合評価(能力評価)という人材評価方法が限界にきていることがあるろ思う。総合評価というのは、その人の資質例えば協調性だとか独創性などを評価し、昇給・昇格の基準を作るというものだが、資質などの評価基準が変わってきていると私は思う。昔であれば協調性が重視されたが、今先進的企業では独創性の方が重視されるのではないだろうか?
さらにいうと総合評価のように人の価値を評価するという行為自体がおこがましいという考え方も出つつあるのではないだろうか?例えば米国では人を評価する場合「業績は評価するが人物の評価は行わない」のである。これは他人を評価し良し悪しを点けるのは神を恐れぬ所業という考え方がベースにあるようだ。
では米国に人物評価がないか?というとそんなわけではない。新しいポストへの任命など昇進(内部からの昇進・外部採用を含めて)には人物判定が行われる。正確にいうと「そのポストへの適正判断で能力評価ではない」はずだ。しかし判定や評価がある限りに、それに不満を持つ人がいる。そして仕組みを円滑に回すにはその不満を問い質す場所が必要で、それが私は転職市場だと考えている。つまりある会社の評価に不満を持った人は別の会社で自分の考え方や能力が正しいかどうかをテストできる訳だ。
私は日本でもジョブ型雇用が拡大することを歓迎するが、それは転職市場の拡大というセーフティネットを伴うものでないといけないと考えている。
10年20年先の日本ではジョブ型雇用が拡大し、その結果としてもっと人材の流動化が起きている可能性が高い。その中で70歳まで働く能力を考えると「環境変化をポジティブにとらえる適応能力の高さ」ということになるのだろう。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます