金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

北の零年とボストンの旅

2005年03月09日 | 映画
この前の土曜日に映画「北の零年」を家内と観に行った。
「北の零年」は前から見ようと思っていたが、その理由は3つあった。

1つは吉永小百合が主演する映画。長年吉永小百合のファンである私としてははずす訳にはいかない。
映画の中の吉永小百合は凛としていた。乗馬姿が素晴らしい。渡辺謙など共演者に比べても格段に乗馬が上手そうだ。

2つ目は「北」が舞台であるということ。コードネームを「北の旅人」と称する位私は「北」が好きだ。
北は私にとって「郷愁」と「旅心」を誘うキーワードである。

3つ目はこの映画が私自身の家系に関わるからだ。
映画のテーマは明治維新時北海道移住を強いられた淡路稲田藩が苦労しながら静内の地に牧場を開いていく話である。
温かい瀬戸内海の住民である稲田藩士の北海道での苦労は映画以上であったはずだ。
私の母方の祖母はこの稲田藩の開拓民の娘である。
祖母が生きていた頃目が不自由になった祖母のため、静内や淡路の親戚に年賀状を代筆したことを覚えている。
歴史は意外に近いところにあるのかもしれない・・・・

もっとも祖母が生まれた頃は既に大きな牧場が完成していて祖母はかなり豊かな環境で育ったと聞いている。
その頃の北海道は石炭や軍馬、鰊等でかなり繁栄していたはずだ。

軍馬と石炭は近代日本の発展を支えた。特に軍馬は日清・日露両戦争で日本の勝利にかなり貢献したのでないか?

映画を見ながら、近代日本の発展の陰に、北の原野で汗と血を流した尊い開拓者がいたことに思いを馳せるのも悪いことではないだろう。

☆  ☆  ☆  ☆  ☆
その翌日に日曜日から仕事でボストン近郊に短い旅行をした。(下の写真は泊まったホテルの前の写真)
この地も又北の大地である。そして北海道より遥かに広大で平坦な土地が広がっている。
そして北海道よりは雪が少なく過ごしやすそうだ。

日本という国は美しくしかし中々手のかかる土地を持った国である。

それにしてもとにかく「北」に絡む1週間だった。

Worshotel


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人口減少と何でも自分でする社会

2005年03月03日 | 社会・経済
国内総生産(GDP)は、人口数×一人当り労働生産性で決まる。
今後日本の労働人口が減少する中で、GDPを維持しようと思うと一人当り労働生産性を高める必要がある。
日本は米国と較べた場合、機械・化学など一部の分野を除くと労働生産性が低い。

この一つの理由は、日本の人口が多過ぎたことだ。多くの人間が食べていくため総ての人に仕事を与えることが重要と
考えられ生産性の低下が見過ごされてきた。

一方米国社会は「開拓型社会」であり、自分のことは自分でやる社会である。つまりDIY=Do It Yourselfの社会である。

もっとも日本でもサービス業・小売業を中心に「自分でやる」社会に変りつつある。例えば私の体験でも、10数年前はクリーニング屋さんはワイシャツ1枚でも取りに来て又配達してくれた。
でも今は「背広など沢山出して貰えると来ますけれど・・・」とワイシャツ程度では断られてしまう。
お酒屋さんも然り。配達してくれそうな店もあるけれど、価格は高そうだ。
ディスカウントショップは当然配達してくれない。
これは小売り・サービス業がかなり米国型になっている証拠である。

ところで私が身を置く銀行業界ではまだ個人宅への外訪や集金が結構多い様だ。
これは米国では絶対に考えられない。
まず見知らぬ人が予約もなしに家の周りをウロウロしていると「不審者」と思われ、悪くするとそれだけで発砲される可能性がある。(やや極端だが)
それと現金や小切手を他人に渡すことにリスクを感じるだろう。

人を信じられない世界には寒寒としたものを感じる。
これを見ると日本はまだまだ富山の薬売り的良俗が残っていると思う。
しかし少子高齢化による人口減少は容赦なく来る。
この時金融サービスはもっとも合理化を求めれれる業種の一つになるだろう。
恐らく個人宅訪問はドンドン少なくなるはずである。またそうならないとコスト倒れになてしまう。

金融におけるDIYといえば、自分でオーダーメードの資産運用をする人が飛躍的に増え時代が来るのではないか?

これは今流行の「デイトレーディング」とも違うし、投資信託への投資とも違う。
トレーディングはどちらかというと投資ではなく投機だ。儲けた快感は残るが長い期間を通して高いリターンを得ることは極めて稀だろう。
投資信託は運用報酬や販売手数料が高過ぎる。
プロの運用者といえ高い報酬を正当化する程のリターンを出すファンドはそう多くないはずだ。

それに較べて個人のオーダーメードの資産運用とは高配当の株等じっくり持てる現物株式や外国債券に、低コストで長期投資をすることである。
株式選択の「スクリーニング・ツール」やインターネットで得られる様々な情報や安い個人口座がそれを可能にする時代がやってきた。

避けられない少子高齢化を嘆いてもしかたがない。
むしろ何でも自分でやる社会の到来を歓迎するべきである。
来るべき社会では~今も既にそうだが~、自分で努力(例えばディスカウントストアにお酒をまとめて買いに行く)をすれば、コスト下げることができる社会であり、また工夫と正しい知識によってリーズナブルなリターンをあげることができる社会である。



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