金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

リーダーの器量(3)~シンプル~

2005年10月25日 | リーダーシップ論

先日エネルギー関連のある取引先から「おたくの銀行の為替デスクの相場観~当面の円安ドル高~が当たっていたので助かった。しかし良いのは相場観が当たったことだけではない。相場観は所詮相場観で当たったり外れたりする。我々も財務のプロなので、色々な人の話を聞いて自分で判断する。おたくのカスタマーディーラーは円安なら円安とはっきり自分の相場観を述べるが、これが良いところだ。メガバンクのディーラーでも玉虫色の相場観を述べるだけの人もいるがこれは意味がない」という主旨の話を聞いた。私はこの話を聞いてGEの会長で名経営者として名高いジャック・ウエルチの次の言葉を思い出していた。

Toughminded people are always simple. Insecured managers create comlexity.

Toughmindedには「意志が強い」という意味と「現実的」という意味がある。Insecuredとは自信がないということ。

従ってウエルチ会長の言葉は「意志が強くて現実的な人はつねにシンプルである。自信のない管理者は事態を混乱させるだけだ」という意味である。

このシンプルということが、リーダーシップのみならずビジネス遂行上極めて重要なことである。ところで世の中の事象は複雑なものであり、それを人間がとらえる時どう認識するか?という問題は、その人の個性によって異なる。これは心理学は「認知的複雑性」と呼ばれるものである。複雑な事象から今自分に必要なものを切り出しフォーカスする・・・・写真に例えれば、強調したい花なら花にフォーカスし、背景を思い切ってぼかす・・・という手法がリーダーには必要ということだ。こういう認識方法を取ることができる人を「認知的複雑性が低い」というそうだ。

意志の強い人間は現実的だというのも良い言葉だ。我々はともすれば自分に有利な様に事態を解釈する傾向がある。例えば行動ファイナンス理論が教えるところでは「人は自分が持っている株が値上がりする」と思い込みたがるという。優れたファンドマネージャーとはこのような誤ったバイアスから自由でなければならない。

Toughminded people are always simple.という言葉は人生の色々な局面で思い起こすに値する言葉である。

ただし認知的複雑性が低い人は芸術家には向かないと聞く。優れた事業家と芸術家は所詮両立しないものなのだろうか?

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リーダーの器量~その(2)~対等な目線

2005年10月23日 | リーダーシップ論

先日書いたブログ「リーダーの器量」をシリーズ物とすることにして、サブタイトルを付けることにした。今回は「対等な目線」というテーマである。さて私事ではあるが私がサラリーマンとして最も嬉しかったことの一つに、私が5年の米国勤務を終え日本に帰国するという時米国人の部下達が昼飯をご馳走してくれたことがある。彼等の曰く「あんたはいつも俺達のことをともに働くCo-workerとして見てくれ、フランクに接し俺達の意見を聞き、そして自分の意見を言う時は常にストレートフォワードだった。あんたは本当にアメリカ人の様にLiberalだった」

私がアメリカに着任した時目標にしたことは「米国人部下から尊敬される上司になること」であった。どういう人間がアメリカで尊敬されるか?ということはアメリカ人がどういう徳目を重視しているか?ということであるが、私はLiberalとStraightforwardだと思っていた。

Liberalと英語で書いた理由は一言で日本語で言うのが難しいから。言うまでもなくそれは自由・寛大・気前が良い・進歩的・・・という意味だが、やはりLiberalと言う方がニュアンスが伝わる。私はLiberalという言葉を人に対する最大級の賛辞と思うのだが如何なものだろうか?

Straightforwardは率直、これは日本語でも良い。回りくどさのないシンプルな態度とものの言い方。これが個性豊かな多民族が暮らす国で最も大切なコミニュケーション姿勢なのだ。

もっともこれらの徳目は必ずしも日本では最重要視されない。率直なもの言いは時に「生意気な奴だ」と反発を招き、Liberalな態度は権威主義者の不快感を募らす。しかしながら私は今後日本がもっとオープンな社会になっていくと予想しておりその時LiberalとStraightforwardが極めて重要な徳目となると確信している。

もう二度と一緒に仕事をする可能性がほとんどない米国人の部下がランチをおごってくれたことは、全く功利心を離れた真の感謝と友情の表れだと私は確信している。小さなことではあったが、自分が立てた目標を達成することと回りの人々から信頼と尊敬を得ることができたことは誠に素晴らしいことだったと今でも感じている。感動の少ないサラリーマン生活の中では鮮やかな思い出である。

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紅葉のロマンチック街道(後編)

2005年10月23日 | 旅行記

22日土曜日の夜は水上高原プリンスホテルに泊まった。1泊3食(夜・朝・翌日のお弁当)付で1万5千円のパック。高くはない。ただし夜はバイキング。これをどう評価するかでお値打ちかどうか判断が分かれる。ワイフは「和洋中色々食べられて悪くないじゃない?」と割りに肯定的な評価。これに対して私は「食にテーマと流れがない」と否定的。偉そうなことを言うと私は旅の食事(特に夕食)にテーマを求めている。例えば「晩秋の高原の華やぎ」とか。料理とはそういうテーマにそって客を楽しませたり、時には驚かせたりするもの・・・。と言っても1万5千円のパックじゃ無理を言ってはいけない。料理の他このホテルには幾つか注文はあるのだが、それはさて置き良いところは温泉だ。ここの温泉はしっとりとしたヌメリ感があり肌に良い。

さて朝8時にホテルを出て雨の中、谷川岳に向けてドライブを続けていると湯檜曽川を渡る頃空が明るくなり雨がやんだ。とその時谷川岳の右手の山つまり白髪ケ門が見えたのだが、標高14~1500m位より上は薄っすらと雪を被っている。初雪だ。上越に早冬の兆しが見えてきた。

asahi

  上の写真は天神平から望遠レンズと撮ったその白髪ケ門(右手前)とその奥の朝日岳の写真である。話は飛んでしまったが、天神平にはゴンドラで約10分で着くが、下の駅でゴンドラ待ちに10分少々を要した。私達がゴンドラに乗ったのは9時頃なのでこの程度の混み具合で済んだが、私達が下山した頃の状況はゴンドラ待ちの行列の最後尾が駐車場に繋がる位の混み方になっていた。噂で聞く「谷川岳のゴンドラの2時間待ち」だろうか?ロープウエイ天神平駅からはロープウエイで天神平頂上(1500m)に登ると新雪を被った浅間山が見える。

asama1 浅間は美しい。ただしこの写真は手前の植生が露出不足からきれいに写っていない。曇り空の紅葉の写真は中々きれいに写らない。次の谷川岳の写真も良くない。

tanigawa2 こちらはやや強引に明るさの補正をかけ、手前の植生の紅葉を強めた。きれいな紅葉を写真でものにするには、場所選びと同時に天候とタイミングが大切である。今回場所の設定は良く、紅葉のタイミングも絶好だったが天気だけはうまく行かなかった。しかし新雪の山に立ち会うのも珍しいことなので旅としては良かった。私は寒さに凍えるワイフに急かされて寒風吹く天神平をそうそうに後にした。錦秋をものにすることは容易ではなさそうである。

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紅葉の日本ロマンチック街道(前編)

2005年10月23日 | 旅行記

10月22(土)、23(日)日に一泊でワイフと奥日光・谷川岳に出かけた。今回は久しぶりに紅葉を愛でようと思い、紅葉たけなわの奥日光と谷川岳を結ぶルートをドライブすることにした。このルートの一部つまり沼田から日光にいたる国道120号は「日本ロマンチック街道」の一部である。ロマンチック街道の命名者は元草津温泉協会長の中沢晃三氏。草津温泉の研究で有名なドイツ人ベルツ博士との関係から、日本で最もドイツ的な自然景観を有しするというこの街道をロマンチック街道と命名したとのこと。marunuma1

それはさておき日光白根山の麓の丸沼に着く頃降り続いていた雨があがった。写真は霧に煙る丸沼でルアー釣をする人の写真である。きれいな紅葉を撮影しようと思うと、明るい逆光が必要なのだが、この週末は天気が悪く日の光を見ることは難しそうだ。隣の菅沼の横で昼飯にラーメン(ワイフはそば)を食ってから、霧の中を日光側へ下る。

まず戦場ヶ原で少し写真を撮るが余り気に入ったものはないので割愛。次に今回の南限と決めた「竜頭の滝」へ行き、プリンスホテル横の臨時駐車場に車を止めて竜頭の滝の横を歩く。

滝のナメ(平滑な岩盤)を見ながらワイフに「沢登りに行くとこのような道のないところをスryuzu1タスタ登るのだ」と説明するが、余り関心がないようだ。ワイフが山に関心を持ちすぎて、やれ危ないからやめろとか言われるのも問題だが、余り関心がないのも拍子抜けである。

振り返ると中禅寺湖が霧の間に見える。

駐車場の横の何気ない林を一枚撮る。ryuzu3

ブナとミネカエデの林だろうか?どうも植物の名前には弱くて困る。外れていたらゴメンナサイである。

駐車場に戻ったのは午後2時頃。漸く人や車も増えてきたが、紅葉のベストシーズンであることを思うとまだまだ少ない。天気のせいで出足が止まっているのだ。天気のせいできれいな写真は中々撮れないが、動き安い点は助かる。世の中うまく出来たものである。

さて湯ノ湖に戻り、写真を撮る。広角レンズを使ったので景色の広がり感はある程度伝わるかもしれない。

yunoko1  さて再び金精峠を越えて鎌田に向かう。鎌田からは尾瀬に向かう道を辿り途中から左に別れ水上に向かう。この道の紅葉が実に素晴らしい。残念なことに深い木立の中は既に薄暗いので写真は撮らなかった。なおこの道路はかなり狭いので慎重な運転が必要だ。道が峠を越えて水上側に入って暫くすると「照葉峡」と呼ばれる紅葉の名所があり、観光バスも来ていた。私は数年前にも一度ここを訪れたことがあるが、その日も小雨が降っていた。私の水上紅葉旅行は雨がらみである。

事実この夜かなり激しい雨が降り、雷が轟いていた。そしてその雨は標高の高いところでは初雪となっていた・・・・。その話は次回へ。

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リーダーの器量~その(1)~部下を思う心

2005年10月18日 | リーダーシップ論

今会社合併に携わっている。私のいる金融業界を含めて日本企業は苛烈なリストラで、漸く収益力を回復してきたが、今後も合併やそれに伴うリストラは続くと考えておくべきだろう。その時リーダーたるものはどう考え、どう対処するべきなのか?ということは悩ましい題であり、時として先輩がどう振舞われたかを思い起こすことがある。

トップの部下に対する対応として、サラリーマン生活を通じて強く印象に残っていることが一つある。それは数年前に他界された元専務T氏のことである。T氏の最後のお仕事はある関係会社の社長としてその会社の整理をすることであった。私は当時整理する会社から人材を受け入れる立場にあったが、T氏が他界される2ヶ月程前T氏から私のところへ来る若い社員を宜しく頼むという電話を頂いたことがある。T氏が既に病床にあるということを聞いていた私はT氏が病を押して、十年以上も若輩の私にわざわざ電話されたことにいたく心を打たれた。

そしてその時私は孫子の兵法地形編にある「卒を視ること愛子(あいし)の如し、故にこれとともに死すべし」という言葉を思い出していた。解説するまでもないが「自分の部下の兵士に愛するわが子の様に接するので、部下は死力を尽くして戦う」ということである。

部下の指導等で優れた上司は他にも見てきたが、病の中で部下の行末をこれ程まで案じる心優しい上司を私は見たことがなかったし、私がその立場にあれば同じことができるかどうか甚だ疑問である。しかし厳しい時代であればある程時にT専務のことと「卒を視ること愛子の如し」という言葉を思い出したいと思う。

「孫子」は言うまでもなく、戦争と権謀術数のバイブルであるがその根底にある種のヒューマニズムがあることを忘れてはならない。「卒を視ること・・・」の一文を「兵士を死地に赴かすため、わが子の様に可愛がる」と功利的に解釈しては孫子の本質を間違うと私は思っている。企業に置き換えて解釈すれば「真に従業員を大事にする会社では、従業員は主体的に頑張るのでその会社は強くなる」と言うべきであろう。

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