国書刊行会の叢書〈短篇小説の快楽〉第3回配本『あなたまかせのお話』(塩塚秀一郎訳)にはレーモン・クノーの愉快な短篇作品のほか、巻末にクノーへのロングインタビューが収録されています。クノー自身の文学のことなど色々語られている中に、彼が積極的に関与したウリポ(潜在文学工房)の試みのこともあって、大変に面白い。
潜在文学とは、私なりに勝手に解釈すると、既存のテキストを機械的に加工したり、あるいは特別な規則に従って文章を生成させたりすることによって出来上がるテキストのうち、思いもかけない面白さを発揮するものを指す。言語空間に隠れている秘められた文学とでもいえばいいのでしょうか。
それを探し出す方法が色々あり、インタビューではマラルメの詩の脚韻部のみを取り出したものとか、『創世記』の冒頭部の名詞を、辞書の7つあとに出てくる名詞に置き換えたものなどが紹介されています。
後者は〈S+7〉法と名付けられていますが、当然、辞書によって出来上がる文章が違ってきます。7つ後の言葉にしたのは、すぐ後だと似たようなものになって面白くないということなのですが、日本語の辞書でやってみるとそうでもないようです。
試しに「我輩は猫である。名前はまだない」を、手元の『集英社国語辞典』と『三省堂例解国語辞典』で〈S+1〉法でやってみると、次のようになりました。
- 若禿げは寝粉である。生演奏はまだない。(寝粉……古くなって食用にならなくなった粉)
- わがままは猫舌である。生菓子はまだない。
『例解国語辞典』は中学生向け辞書なので語彙が少なくなっていて、「若禿げ」とか「寝粉」などは出ていないのです。
ウリポの活動を「遊び」というと語弊があるかもしれませんが、こういう言葉遊びは大好き。自分なりに新しい方法を考えてみたいものです(というより、年賀状用の回文を考えなくては)。