この小説は異星人とのコミュニケーションに関するSF。言語表現がストーリーの中心に据えられていて、言語と認識と精神状態とコミュニケーションの絡みが何とも凄いことになっています。
まず、女主人公のアヴィス(地球人類)が、アリエカ人にとっては直喩であるというのが凄い。
とこう書いても、未読の方には何のことだかわからないでしょうが、アリエカ人の言語はもの自体から離れることができないらしく、具体的事実を指し示す機能しか持たないようなのです。だから、「もし……だったら」といった発想はできない。
「あたかも……のような」という直喩表現も、架空の事柄を想定して口にすることはできないので、実際の出来事を引き合いにだすしかないのでしょう。
アヴィスは、暗闇で苦しめられ、あたえられたものを食べるという体験を強いられ、「暗闇で苦しめられあたえられたものを食べた少女」という「生きた直喩」に仕立てられたのです。
では、アリエカ人はどういう場合にアヴィスを引き合いに出して、ものごとを表現しようとするのでしょう?
これがどうもよくわからないのですね。他にも「毎週魚たちといっしょに泳ぐ、ヴァルディク」とか「目が見えないまま三晩起きていた、シャニータ」などが登場しますが、アリエカ人の日常でこうした比喩を使う場面があるのかどうか。
もしかしたら、ないのかもしれません。必要はないのだけど、直喩というものには興味があるので、そうした用例のみを作ってみたのかも。
とはいえ、とても魅力的なアイデアではあります。
ミエヴィルは11歳の時にアリエカ人のアイデアを得たそうですが、その時からこんな言語学的な冒険を考えていたのでしょうかねえ。だとしたら、それもびっくりです。
アリエカ人が抽象的思考ができないという想定は「ピダハン」を思い起こさせます。そのことについては、いずれまた。