今日も風邪。
寝込むほどではないのですが、しゃっきりしません。温かくして、本読み仕事。
散歩に出ないぶんはかどったような気はするものの、気分転換がうまくできなくてダラダラした気分。
まあ、しょうがないですね。体調が戻るのを待つしかないな。
風邪気味。熱はないようですが、頭がボーッとして、鼻もグズグズ。
家族の1人が数日前から鼻声になっていて、「うつされると嫌だな」と思ってはいたのですが、隔離するわけにもいかない。結局、家族全員が引くはめになってしまいました。
なので、今日は夕方の散歩はお休み。暮れてゆく空を眺めながら、久しぶりにゆっくり音楽を聴きました。本を読んでもすんなりとは頭に入らないのに、なぜか音楽はしっくりと心に沁みてくるのです。
特にロス・ロボスのライブで「マス・イ・マス」を聴いている時はのりまくりましたね。ほとんど叫びださんばかり。
というか、心の中では声を限りに叫んでおりました。
音楽の熱狂は恐ろしい力をもっている。ウィリアム・ベンゾン『音楽する脳』(西田美緒子訳、角川書店)はその謎を解き明かそうとしていて面白い。が、まだ思いつきの域からはそんなに出ていなくて、音楽を認知科学的に解明するまでには遠い道のりがあると感じました。
それでも10枚は凄い。感激しました。50枚に1枚当たる勘定だとしたら、我が家の当選率はその2倍。
こいつぁ~春から縁起が良いわい♪
元日にカワセミが魚を咥えるのを見たせいなのでしょうか。それとも、鎌倉まで足を伸ばして七福神さまをお参りしたせいか。
いずれにせよ、これから先も良いことが続きますように。
昼食後、窓辺のソファに身を投げだしていたら、いつの間にかウトウトしておりました。
短時間の昼寝はいつものことだけど、今日のはことのほか気持ちが良かった。至福のひと時といっていいかもしれません。
街を歩くとコンビニの前には丸かぶり用の恵方巻き予約受付中のノボリがはためいていて、すぐにも春がやってきそうな気分になります。
あ~、本当の春が待ち遠しい。
なので、今日は一日外に出ず、読書に集中。
昨年11月に出たアーシュラ・K・ル・グィン(この本の表記ではル=グウィン)の新作『なつかしく謎めいて』(谷垣暁美訳、河出書房新社)は、円熟味と若々しさが見事に溶け合った素晴らしい一冊。
ただし、ストーリー性が希薄なので物語の面白さを求めると肩透かしを喰うかもしれません。
もともとル・グィンは(高名な文化人類学者だったお父さんの影響もあってか)異質な文明や文化を綿密に考察する傾向がありましたが、この本はそれを極端に追求したものといっていいかもしれません。「他の次元」への訪問記という形式で、16の異なる文化の入念なスケッチが試みられる。ある意味ではSFの設定だけを行ない、その設定のもとでの物語を省略したものといえるかもしれません。とはいうものの、ちりばめられた無数の小さなエピソードには驚くほど豊穣で、驚異と感動に満ちた物語が詰め込まれている。噛みしめれば噛みしめるほどに味が出てくる、ル・グィン風の「コンデスト・ノヴェル」、あるいはボルヘス的短編の集まりといってみたい気がします。
ふたつ目の訪問記「玉蜀黍の髪の女」に登場する小さな熊が愉快。遺伝子改変によって子どものペット用につくられたもので、まあ、生きたぬいぐるみといっていいようなやつです。これがホテルの部屋に棲みついていて迷惑をかけている。
登場人物のセリフによれば、
「……ほんとに困りものね! 本はだめにする、封筒をなめる、おまけにベッドにもぐりこんでくる」
というのです。
なぜこんなことになったのか? 興味がおありの方はご一読を。
ユーモアがあってひねくれていて、時には厳しい皮肉が籠められている。老いてこんなことが考えられるなんて、ル・グィンの想像力は絶品ですね。