惑星ダルの日常(goo版)

(森下一仁の近況です。タイトルをはじめ、ほとんどの写真は交差法で立体視できます)

ご当地SF

2008-12-26 21:07:56 | 本と雑誌
 ホームページのサーバーとの接続が回復したので、昨日、タカアキラさんに投稿していただいた『小さくなった町』(原周作)を掲載しました。こちらでご確認ください。

 本当はもっといっぱいあるんですよね、ご当地SF。気づいたらそのたびに登録してゆけばいいのですが、つい億劫になってそのまま……というケースも多い。貴志祐介さんのSF大賞作『新世界より』だって、茨城県神栖市だとか霞ヶ浦だとかで登録できますものねえ。反省しております。

 自分のことだと思うと手をつけなくても、他人に言われるとやるしかないので、皆さんぜひ投稿してください(なんて、ズボラを正当化してはいけませんね)。


新宮市のSF

2008-12-25 19:50:41 | 本と雑誌
 ホームページに日本各地を舞台にしたSFを紹介する日本全国ご当地SFというコーナーを設けています。今日、そこへ新たな投稿があったのですが、なぜかサーバーに接続できない状態が続いていて、更新不能なのです。面白い内容なのに、残念。

 とりあえず、以下に投稿内容を貼っておきます。タカアキラさん、ありがとう&ごめんなさい。通信が回復し次第、本来の場所に掲載しますので、どうぞお待ちくださいm(__)m


和歌山県新宮市
  • 『小さくなった町』(原周作)
     こんにちは。本の雑誌社のタカアキラ(浦高晃)です。最近、ご当地SF作品を発見したので本日はその報告をメールいたします。

     ご紹介するのは、原周作『小さくなった町』(学習研究社、1972年刊)という本です。
     宇宙からの光線によって和歌山県新宮市という一つの町が丸ごと、人間がアリくらいの大きさまで縮小してしまう。というお話でミクロの世界でのサバイバルが描かれています。

     現在私は本の雑誌社というところで書籍編集をしています。
     先日、〈WEB本の雑誌〉にある読書相談室というコーナーの書籍化まとめ作業を行ったのですが、そちらによせられた質問に以下のようなものがありました。

    • 年齢:45~49歳
    • 性別:男性
    • 質問内容:
       わりと古い話になります。
       わたしが小学生のころ(おそらく昭和45~6年)、学研が小学生向けに発行している雑誌の「学習」か「かがく」に連載されていたSFジュブナイルについて質問です。
       内容は、宇宙からの謎の光線を浴びて町がまるごとミクロ化してしまう、というものでした。「巨大な小動物」が現れたり、街の外れまで行くとそこは砂漠になっていたりという場面を覚えています。(オチは書きません)
       この話をもう一度読んでみたい気がします。その後この話が単行本になったかどうか、ご存じでしょうか?
       また、なったとすればその作者名とタイトルを教えてください。
       どうぞよろしくお願いします。

     私は昭和51年生まれですが、小学校の図書館でこの作品を読んだ覚えがありました。
     読書相談室員にはSFに強いレビュアーの三村美衣さんもいらしたのですが、三村さんにも心あたりがなく、結局刊行までにタイトルはわからないままでこのこの相談とそれに対する回答を単行本に収録することはできなかったのです。
     しかし、先日打ち合わせで北原尚彦さんのお家にうかがわせてもらったときに、このお話をしたら「刊行年と版元でだいたいの見当がついているなら石原インデックスを調べてみればわかるかも」と調べてくださり。あっというまにタイトルがわかりました。

     タイトルがわかったので図書館で取り寄せて読んでみました。 下の写真はその書影です。

     http://mixi.jp/show_diary_picture.pl?owner_id=34416&id=1027424258&number=205

     今読み返すと、パルサーからの放射線が、アポロ11号が月においてきた鏡によって反射して変質してミクロ作用が発生! というのはいささかSF的には大味かもしれませんが、ミクロ化した世界では、普通の雨でも大惨事になったりだとか、アリや蜘蛛が驚異となる世界で、住人で組織された探検隊が、電気、電話、水道の共同溝を目指して、町の回りに出来た荒野を超えていく緊張感溢れる冒険行など、もし、人間がミクロサイズになったら…という「if…」の世界を舞台に描いていて、ストーリー的にも極限状況化で人間のもつ底力を礼賛するというジュブナイルSFの佳作でありました。
     巻末の略歴によると、著者の原周作氏は大阪府農林技術センターの研究員だったそうです。
     他にSF小説を書いていたかまではわかりませんでした。
     是非、ご当地SFのリストに加えご紹介ください!

    タカアキラさん(2008年12月)


足元

2008-12-24 20:29:33 | 日記・エッセイ・コラム
 ほとんど日が差さず、寒い一日。

 みみっちい話なのですが、机に向かっている今、私の両足は発泡スチロールの箱の中にあります。足温器がわり。

 机に座ると、どうしても足元が寒い。電気ストーブをつけたり、フリース製の上履きのようなものを履いてみたり、色々やってきたのですが、ストーブは点けたり消したりが面倒だし、上履きを重ねて履くと蒸れるのか、ひんやりとした汗をかくし、決定打にはなりませんでした。

 この冬はたまたま発泡スチロールの箱(クール宅配便で食品を入れてあったもの)が目にとまったので、これに足を突っ込んでみたところ、ほんわりと良い加減に温かいのです。体温があまり逃げないで、足を包んでくれている感じ。
 箱は縦横30センチ、深さ15センチほど。上部の開いているところの向こう半分は、やはり発泡スチロールで蓋をしました。足の甲から指先あたりまで蓋の下に入れた状態になります

 もっと寒くなるとどうなるかわかりませんが、今のところ、これで満足。ケチケチ耐寒術のヒット作だと自負しております。


潜在文学

2008-12-23 20:36:38 | 本と雑誌

 国書刊行会の叢書〈短篇小説の快楽〉第3回配本『あなたまかせのお話』(塩塚秀一郎訳)にはレーモン・クノーの愉快な短篇作品のほか、巻末にクノーへのロングインタビューが収録されています。クノー自身の文学のことなど色々語られている中に、彼が積極的に関与したウリポ(潜在文学工房)の試みのこともあって、大変に面白い。

 潜在文学とは、私なりに勝手に解釈すると、既存のテキストを機械的に加工したり、あるいは特別な規則に従って文章を生成させたりすることによって出来上がるテキストのうち、思いもかけない面白さを発揮するものを指す。言語空間に隠れている秘められた文学とでもいえばいいのでしょうか。

 それを探し出す方法が色々あり、インタビューではマラルメの詩の脚韻部のみを取り出したものとか、『創世記』の冒頭部の名詞を、辞書の7つあとに出てくる名詞に置き換えたものなどが紹介されています。
 後者は〈S+7〉法と名付けられていますが、当然、辞書によって出来上がる文章が違ってきます。7つ後の言葉にしたのは、すぐ後だと似たようなものになって面白くないということなのですが、日本語の辞書でやってみるとそうでもないようです。

 試しに「我輩は猫である。名前はまだない」を、手元の『集英社国語辞典』と『三省堂例解国語辞典』で〈S+1〉法でやってみると、次のようになりました。

  • 若禿げは寝粉である。生演奏はまだない。(寝粉……古くなって食用にならなくなった粉)
  • わがままは猫舌である。生菓子はまだない。

 『例解国語辞典』は中学生向け辞書なので語彙が少なくなっていて、「若禿げ」とか「寝粉」などは出ていないのです。

 ウリポの活動を「遊び」というと語弊があるかもしれませんが、こういう言葉遊びは大好き。自分なりに新しい方法を考えてみたいものです(というより、年賀状用の回文を考えなくては)。


逃げ足

2008-12-22 20:32:20 | ポッカール
 原稿を1つ送ったので、久しぶりにポッカールに乗ってこようと生田緑地に出かけたら、ちょっと走ったところでポツポツと降ってきました。
 何とか30分ぐらいはもってくれればなあと願っていたんですけど……。

 寒くなってきたので濡れて冷えるのは困ると思い、すぐさま引き上げることに。

 こんな時、ポッカールは具合が良いのです。
 バイクを停めてあるのは、公園入口近くの、いちばん標高の低いところ。えっちらおっちらと登ってきた坂道ですが、下りはポッカールに跨ってあっという間。ほとんど濡れる間もないくらいでした。

 下りの坂道であれば、ポッカールの逃げ足は恐ろしく速い。