金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

シニアの交わりは淡きこと水のごとしでありたい

2019年11月20日 | ライフプランニングファイル

 先日ブログで「弱いつながりは案外強い」ということを書いた。敷衍して言うと「強いつながりは意外に弱い」と言えるかもしれない。ひと昔前まで「同じ釜の飯を食った会社員のつながり」は強いつながりの一例だったが、度重なるリストラなどを経て今ではすっかり弱くなっている。

 家族は最も強いつながりだと思うが、「家族という病」(下重暁子)が指摘するようにある人には重荷かもしれない。

 荘子は「君子の交わりは淡きこと水のごとし 小人の交わりは甘きこと醴(れい)のごとし」と言っている。

 醴はあまざけのこと。つまり君子(教養や徳の高い人)のつきあいは淡泊だが、そうでない小人のつきあいはべたべたしているという意味だ。

これが一般的な解釈。勝手に私の解釈を付け加えると「君子というものは常にものごとを道理で判断する。だから他人と必要以上にべたべたしない。一方小人は自分の目先の利益をベースにものごとを判断する。だから利益をもたらしそうな人とべたべたくっつきたがるのである」ということになる。

 君子と小人の違いを述べた箴言は多い。

 論語の中には「君子は義に喩り、小人は利に喩る」という言葉がある。君子は義(道理・正義)を判断基準にし、小人は利益を判断基準にするという意味だ。

また付和雷同のもとになった「君子は和して同ぜず 小人は同して和せず」という言葉もある。

 君子は協調するが主体性は失わないが、小人は容易く同意するが、腹落ちせず我に固執するのでまとまることが難しいという意味だ。

 なお多くの解説書は「君子とは教養や徳の高い人」と説明しているが、私は儒教で「君子」という場合は「人格面で資格を満たした高級官僚(士大夫)」を指すと考えている。何故なら儒教とは「高級官僚はかくあるべし」という教えだからだ。現代では企業の管理者層や各分野のスペシャリストを含む広い意味のエリート層と考えて良いだろう。

 理想の高級官僚は時として君主に諫言せざるを得ないこともあり、部下を叱責せざるを得ないこともある。つまり義を中心に行動する必要がある訳だ。

 無論シニアの社会ではそのような局面は少ないだろう。だが必要以上に馴れ馴れしい人や上から目線の人は敬遠される。

 シニアの交わり方も淡きこと水のごとしが理想なのだ。そしてそのような生き方は急にできるものではないから若い時から和して同じない生き方を訓練する必要があるのだ。

 

 

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