プサンの「五六島」は、「プサン港に帰れ」というヒット曲にも歌われて
おり、韓国ではかなり有名な無人島だ。
*五六島全景
最近、そんな「五六島」が隠された意味を持つ隠語として使われて
いると言う。どのくらい広まっているのかはよくわからないが、
「56歳を過ぎても会社に残っている給料泥棒」なる意味を持って
いるらしい。
*右側が灯台島
「ヲタク」としては、そうしたことよりも「五六島」がプサン市南区に
編入され、新しく地番が生じたのが1986年のことだったという
事実に、ちょっと意外な気がした。
まあ、自然状態では人も住めない無人島のあつかいというものは、
もともとそんなものなのかもしれない。
今日のプサン日報の記事から一つ紹介しておく。
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■ 오륙도 이모저모
五六島、あれこれ
(プサン日報 5月6日)
오륙도에 등대가 개설된 것은 1937년이다.
五六島に灯台が設置されたのは1937年のことであった。
1876년 부산항이 개항되고 부산의 관문인 오륙도 앞으로
배들이 드나들기 시작하자 항구를 알리는 길잡이 역할을
하도록 오륙도의 밭섬(그 뒤 등대섬으로 이름이 바뀜)
위에 등대를 세웠다.
1876年、プサン港が開港しプサンの関門である「五六島」付近を
多くの船が出入りし始めると、港の位置を知らせる案内役として
「五六島」の外島(その後、灯台島と名前が変わる)の上に
灯台が設置された。
그리고 오륙도가 지번을 부여받아 토지 대장에 등재된
것은 1986년 남구청에 의해서였다.
そして、「五六島」がプサン市南区役所に編入され、島に地番が
付き土地台帳に登載されたのは1986年のことであった。
육지에서 가까운 순서대로 용호동 936에서부터 941까지
번지가 붙었다.
陸に近いほうから順番に南区ユンホ洞939~941という番地が
付けられた。
최근에는 56세에 이르도록 회사에 남아있는 도둑이라는
뜻으로 오륙도가 쓰이고 있다.
最近、56歳になっても会社に残っている給料泥棒という意味で
この「五六島」という言葉が使われている。
이 말은 청년실업의 심각함을 강조한 이태백(이십대의
태반이 백수)들이 만든 은어일 것인데 뭍에서 떨어져 나가
추위에 떨며 불철주야 보초를 서고 있는 오륙도의 입장에서
보면 좀 억울한 누명이다.
この言葉は「李太白」(『20代の大半が失業者』という韓国語の
頭文字をかけた言葉で青年失業者の多さを強調した流行語)たちが
作った新しい隠語のようだが、陸を離れ寒さに震えながら昼夜を
問わず歩哨に立っている「五六島」の立場からすれば、何とも
くやしい汚名である。
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