■ 일본식 국제법용어 바꿔야
日本式の国際法用語を変えなければ
(東亜日報 5月15日)
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韓国を代表する全国紙である「東亜日報」に、韓国のある
「愛国的」な国際法学者が寄稿記事を掲載していた。
久しぶりに「ヲタク」の批判精神がいたく刺激される内容の
記事を読んだ。
まず、記事の中から彼の問題意識の核心部分を引用して見る。
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법조인의 산실인 사법연수원에서도 최근까지 외국어로 오직
일본어만 가르쳤다. 그 이유가 일본 판결문을 참조하거나
베끼기 위해서였다는 사실을 어떻게 생각해야 하나?
法曹人を養成する司法研修院でも、つい最近まで外国語として
唯一、日本語だけを教えていた。その理由が、日本の判例を
参照したりコピー(翻訳利用)するためであったという事実を
どう考えればいいのか?
일본식 표현이 무성한 말로 독도가 곧 일본에 넘어가기라도 할
것처럼 목소리를 높이기에 앞서 그러한 ‘언어 속의 일본해
물결’부터 걷어 내야 하지 않을까?
日本式表現が多用されている国際法用語を使いながら、
独島(竹島)がすぐにでも日本の手に渡ってしまいでもするかの
ように過剰な反応をする前に、こうした「韓国語の中の日本海の
波(多くの日本式表現)」からまず取り除く必要があるのでは
ないだろうか?
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もちろん、日本式法律用語の安易な模倣などすべきでないと
「ヲタク」も思う。
また、真の意味で植民地時代の負の遺産を直視し克服しよう
とする真摯な努力に対しては、深い敬意を抱いているのが
「ヲタク」だ。
しかし、彼は上記のように述べながら具体的には、次のような
「言いかえ」を提唱している。
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※(言いかえが必要な日本式表現)
→ (望ましい韓国語的な表現)
・「영유권(領有権)」
→ 「영토주권(領土主権)」あるいは「영토관할권(領土管轄権)」
・「국제사법재판소(国際司法裁判所)」
→ 「국제사법법원(国際司法法院)」
・「국제사법재판소재판관(国際司法裁判所裁判官)」
→ 「국제사법법원판사(国際司法法院判事)」
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こうした提言は、このブログで「ヲタク」が折に触れ批判している
「日帝残滓清算論」と軌を一にする欺瞞的な論理だと
言わざるを得ない。
--- つまり、恣意的にターゲットに選んだ一部の「日本式表現」の
問題性を日本式表現で指摘し、あまつさえ日本式表現への
言いかえを提言するという自己満足的な論理の典型例なのでは
ないかと思われる。
まず、悲しいかな、ここでは韓国的な(?)表現として使用されて
いる「国際法」や「司法」、「主権」などといった西欧的な概念
自体が、近代日本式の翻訳用語である可能性が非常に高い。
「判事」については裁判官の官職名として明治時代から日本で
使用され続けている用語だ。
「領有権」や「裁判所」、「裁判官」という漢字表現を日本式だと
いう理由で言い換えの対象にするのなら、あわせて「国際法」や
「司法」、「主権」、「判事」などという表現もセットでその対象に
すべきなのではないだろうか。
少なくとも、「国際法」や「司法」、「主権」、「判事」などの用語が
韓国固有の漢字語表現であると見なせるような歴史的な
根拠があるとは思えない。
--- 加えて、歴史的に見てさらに深刻な問題をはらんでいる
と思われる表現が「法院」という用語だ。
つまり、この「法院」という用語は、韓国人が最も忌み嫌って
いるはずの「朝鮮総督府」に特有の用語であったという歴史的
事実をどう考えるのか、という問題だ。
少し詳しく言えば、明治期以降、本土においては「裁判所」という
用語が一般化した戦前の大日本帝国において、新しく日本の
植民地となった台湾や朝鮮の総督府行政においては、本土の
「裁判所」とは制度的に異なった「法院」という名称の司法機関を
設置し運用したのだ。
もちろん、朝鮮総督府が「法院」という司法機関を設置する
以前から、「法院」という用語が朝鮮半島で使用されていた
可能性が全くないとは断言できない(調べる意欲もない)。
しかし、少なくとも現代の日本語と同じ漢字語表現の代案と
して、朝鮮総督府の司法機関名と同一の用語を使用しよう
などという提言は、あまりにお粗末に過ぎるのではないだろうか。
もっとも、韓国国内では「裁判所」に相当する用語について、
現在でも「法院」という総督府の司法機関名が、他のあまたの
一般的日本式漢字語とともにハングル読みされたまま使用され
続けている。(「裁判官」については一般的に「判事」と呼ばれ
ている)
このように、正確には日本式漢字用語というよりは、総督府に
特有な機関の名称でさえ「清算」されないままハングルの皮を
かぶり生き残っている(?)のが韓国社会の現実なのだ。
「否定」と「憎悪」の対象でしかない植民地時代の近代化の
歴史がほとんど検証されることのない韓国では、かなりの
知識人でもこうした事実を知らないか、あるいは、薄々知って
いても直視しようとしない人がかなりの割合で存在している。
韓国人も日本人とは違った意味で、過去の歴史を直視しないと、
妙なところで「総督府の亡霊」に絡め取られてしまう。
植民地時代の歴史を直視し検証することは、決してその時代を
丸ごと肯定することではないと「ヲタク」は考えている。それは、
現代をより正確に理解し、よりよい未来を築くためにこそ必要な
作業なのだ。
--- 全く余計なお世話だが、「領有権」や「国際司法裁判所」と
いった一般的な日本式漢字語表現を改める必要性を説くのなら、
現代日本語では既に死語となっている「法院」など旧植民地に
特有の総督府式用語を改めることのほうが先決なのでは
ないだろうか?
「ヲタク」には、そちらの方が歴史的によほど意味があると思える。
性格は少し異なっているが、韓国で長らく使用され続けてきた
「국민학교(国民学校)」(※)という名称を「초등학교(初等学校)」に
変更(1996年)したように・・・
(※)日本本土では1941年から47年まで使用された名称。
いわゆる軍国主義教育のシンボル的名称。現在の小学校に相当。
(終わり)