今日、夕方の散歩の時、ふと目をやってびっくり。どうして今まで気づかなかったのだろう。
ともあれ、冬から春へ向かう気配は強まっているようです。もう少しの辛抱だ。
今日、夕方の散歩の時、ふと目をやってびっくり。どうして今まで気づかなかったのだろう。
ともあれ、冬から春へ向かう気配は強まっているようです。もう少しの辛抱だ。
時おり頭の中で鳴っていたのは、井上陽水「闇夜の国から」と三田明「ごめんねチコちゃん」(詞:安部幸子・佐伯孝夫 作曲:吉田正)。とりとめもなく響いてくるんです。
夕方、日没(午後4時49分)とほぼ同じ時刻に家を出て、ハケの上を通るいつものコースを散歩。
西の空にはくっきりと三日月(月齢2.8ぐらい)が浮かんでいました。
自然と「寒月」という言葉が浮かんできます。三日月に使ってもいいんですよね?
月は冴え冴えとしていますが、風が南から吹くようになり、昨夜よりはずいぶんと暖かい。
なぜこの曲なのかはわかりませんが、このところ、似たようなムードの曲がよく鳴っています。昨日は、橋幸夫さんの「京都・神戸・銀座」(詞:橋本淳 曲:筒美京平)でした。
他愛ない歌謡曲が多いですね。かならずしも最愛の曲というわけではないのですが、気になってはいるのでしょう。
洋楽でも、気になっていた曲について考えることがあります。やはり古いものが中心。
夕食のあと、古いポップスを聞いていてカスケーズ「悲しき雨音」が出てきたのですが、この曲とデル・シャノン「悲しき街角」はどちらが先だったっけ、とか。
話はそれてゆきますが、「悲しき街角」は1961年、「悲しき雨音」は1963年のヒットになると思います。
デル・シャノンはこの後「……街角」の街角シリーズを出しますが、もちろんこれは日本語タイトルの話。
カスケーズには「悲しき北風」という曲もありました。これはO・ヘンリーの「最後の一葉」のモチーフを歌ってましたね~。
「悲しき……」といえば――いや、これまでにします。
年寄りの昔話になってしまいました。こういうのは気持ちがいいんですよね(自分にとって、だけなんですけど)。
ふつうは何もいわずにファイルが消えるだけ。そのファイルはゴミ箱に入ります。
しかし、このメッセージが出るということは、ゴミ箱にゆかず、そのまま消去されることになるのでは?
実際、メッセージに「yes」とクリックしてゴミ箱を見てみると、ファイルは入っていません。ゴミ箱は空っぽなのです。
どうやらゴミ箱が壊れているようです。ゴミ箱そのものを削除して再構築するリカバリー作業が必要なのでしょぅか?
いや待てよ、と思い、ゴミ箱削除をする前に、パソコンを再起動してみました。すると、いつもの「ファイル削除 → ゴミ箱」が復活していました。こんなこともあるんですね。
写真は室内で育てているパプリカの実。
撮ったアングルのせいで、見ようによっては、ちょっとエロチックなオブジェのようです。真冬にこんなものが実るのはうれしい。
でも、ひとつ問題が見つかりました。
葉っぱに小さな黒い虫がたくさんいるのです。どうやらダニ。
そのままにしておくと株全体が弱るので、いったん外に出し、葉っぱについた虫をブラシで払い落としました。
室内で育てているのに、ダニはどこからどうやって来たのでしょう?
これからも気をつけなくては。
今日は終日曇り空で冷たい風が吹きました。
寒いので首と背中の境目あたりに使い捨てカイロを貼り付けて過ごしてみました。
これはけっこう有効。
あと、時々、四股を踏んで体を動かしました。こんな日はじっとしているとつらいものがあります。
夕方の散歩は市の中心部へ。
赤十字の「能登半島地震義援金」を市役所でも受け付けていると、市のホームページにあったので寄ってみました。
入口すぐの、受付前のテーブルに四角い貯金箱のような小さめの募金箱がいくつか置いてありました。
せっかくだから少しでもと思い、ショルダーバッグの中を探ったのですが、財布が見当たりません。
記憶をたどってみると、2日前、出かけた先で財布をコートのポケットに移し、そのままにしてあることを思い出しました。こりゃダメだ。
結局、見つけたわずかな小銭を投入して引き返すことに。
次の機会にあらためて協力したいと思っています。