先日私のブログの読者である会社の先輩から「リーダーシップ論の続きがその後ないね。ところで君のリーダーシップ論のリーダーとはどれ位の集団のリーダーをイメージしているの?」という話があった。そこで「リーダーの器量」でイメージしているリードされる集団のイメージを説明しよう。結論から言うと2人から150人位である。リーダーシップを「他人をして自分の考えるところに引っ張っていく技術」と考えるならば、リーダーシップは小は夫婦・恋人・家族、大は規模数万人という大企業、更には国家にまで及ぶはずだ。しかし自分の経験がないことを余り話をしても仕方がないので、上限を150名位とした。この150名という数字は大切な数字で、軍隊で言えば大隊規模であり、これがリーダーが具体的に部下を掌握できる最大単位といわれている。もっとも私の話の中心はもっと少人数の集団におけるリーダーシップを念頭に置いている。
さて本題に入る。実は私の会社は今年前半営業目標等を達成し、業績が良かったので勤務員に冬のボーナス時に特別報奨金を加算することにした。無論こういう意思決定は私単独でやれることではなく、社長や株主の賛意があってできることである。しかしもしこれが良いことであるならば、提案をした功績位はあっても良いと思う。
何故特別報奨金を出すことにしたか?という背景には実は「孫子」の二つの教えがある。それは「九地編」にいう「之を犯(もち)うるに事を以ってし、告ぐるに言を以ってするなかれ」という言葉と「無法の賞を施し、無政の令を懸くれば三軍の衆を犯(もち)うること一人を使うが如し」という言葉である。
前者を簡単に解説すれば、人を使う時は具体的な報償を出せ!言葉で誉めるだけだは駄目だということである。会社の業績が良かったのは君のお陰だ。その内良いことがある・・・などという言葉では駄目で具体的にペイで示せ!という教えであると私は理解している。
後者は平時の規定を超える特別な報償を出したり、平時の処罰を無視する厳しい処分を下すことで大部隊の人員を手足の様に使うことができるという教えだ。ところが組織がある程度大きくなり、又ルールの尊重といったことが重視される様になると、中々「無法の賞」を施すことや「無政の令」を懸けることが難しくなってくる。リーダーの中にはルールを守ることがリーダーシップと考える人もいるがそれは間違っている。ルール通りの運営で事足りるならそれは部下でもできる。リーダーとは組織の意志を統一して組織目的を達成するためには、時としてルールを越えた運営をする必要があるのだ。もっともそれが我侭や暴走になるのかどうかはリーダーの高い志操にかかっているということになる。