賞与査定の季節である。日本の会社では大体この時期に勤務員の業績考課を行なって賞与額を決める。査定時に上司は部下を面接するが、私は時々次の様な話を聞くことがある。それは自分は正しいことを言っているのに部下が聞いてくれないという話だ。今日はこのことに関する私の意見を述べよう。
切り口は3つある。一つは「人は言葉ではなく、心やそれ以外のものでしか動かない」ということ。次は「目的の正しさは一つでもそれを達成する手段は複数ある」ということ。最後は「実社会で正しい・正しくないと白黒が付くことはそれ程多くない」ということだ。
最初の点について最近「人は見た目が9割」(竹内一郎著・新潮新書)という本を読んだが、その中にちょっと良いことが書いてあるので引用しよう。
ついついコミュニケーションの「主役」は言葉だと思われがちだが、それは大間違いである。実は九割以上が、見た目その他だということが分かっている。多くの人が実は「人を見かけで判断」しているのだ。・・・・・私たちは「本をたくさん読む人」の中に、人望もなく、仕事もできず、社会の仕組みが全く理解できていないと思える人がたくさんいることを知っている。・・・私たちは、そういう人の意見を聞くと、こんな反応をしたくなる。「あなたの言うことの意味は分かるけれど、あなたには言われたくない」
つまり仕事の上で正しいことを言っても、コミュニケーションのベースができていないと相手は、拒否反応を起こすのである。ではコミュニケーションのベースとは何か?その基本は相手の気持ちを理解することである。「コイツは会社や自分のことだけでなく、俺のことを思ってくれているな」という信頼関係がないとコミュニケーションは成り立たない。
次に正しい目的を達成する手段は複数存在することが多いということだ。例えばA地点からB地点に行く時複数のルートが存在する様に。この様な場合私はルートの選択は基本的に部下に任せている。明らかな遠回りでない限り自分の好きなルートを選ばせている。部下はそうすることで、自分の選択に責任を感じベストを尽くす様になるのだ。反対に細か過ぎる指示を与えると部下はやる気をなくしてしまう。ところがこの機微が分からず細かいことまで指示をすることを上司の仕事と考えている人間が実に多いのが実情だ。
最後は実社会で正しい・正しくないが予めはっきりしていることはそれ程多くないということだ。もし正しい・正しくないが予めはっきりしていれば、潰れる会社など余りないだろう。ところが実際は事業に失敗したり、信じて貸したお金が返ってこなかったりすることが実に多いのだ。「俺の言うことは正しい」などと言う人間を私は基本的に信用しないのである。私は精々「この場合私のいうことが正しい確率が高そうである」という言い方をすることにしている。従って自分の考えが外れる場合の対策等を立てることができるのである。根拠のない自信からは何も生まれない。
以上再度まとめて言えば自分は正しいことを言っているのに部下が聞いてくれないと嘆く前に次の点を自省する必要があるだろう。
あなたはコミュニケーションのベースが出来ているのか?
あなたが正しいと主張することは本当は五十歩百歩程度のことでどうでも良いほどのことではないのか?
あなたが正しいと主張することは本当に正しいのか?もし正しいとすればそれを説明する責任があるがあなたはそれを行なっているのか?