欧米では日頃から人々はよく教会に行くのか?と思っていたがそうでもないらしい。エコノミスト誌によればクリスマスシーズンなって教会に行く人が増えるということだ。ところで最近のエコノミスト誌によればある経済学者が実証的研究を通じて教会に行く人の方が裕福であるということを述べている。記事の概要を紹介した上でコメントを述べてみたい。これから日本でも初詣や受験のための神社仏閣詣でが多くなるだろうが、科学的にご利益を考えながら神仏に詣でるのも悪くないかもしれない。
- 英国では大部分の週は10人に1人以下しか教会に行かないがクリスマスには教会へ行く人が3倍以上になる。5分の2の人がしばしば教会に行くという米国でさえ12月には教会に行く人が増える。
- 特別な機会にだけ教会に行く人の中には教会に行く回数を増やすともっとご利益があるのではないかと考える人があるに違いない。もしそうするならば精神的な滋養以上のものが得られるかもしれない。マサチューセッツ工科大学の経済学者Gruber氏は定期的に教会に行くことはより良い教育、より高い収入や離婚率の低下を導くと言う。彼の調査結果は教会に行く回数を倍にすると収入を10%増加させることを示唆している。
- 宗教が物質的なメリットをもたらすことは歴史的に見てはっきりしている。1世紀前にマックス・ウエーバーは欧州の繁栄の土台にはプロテスタントと労働倫理があると主張した。もっと最近ではハーバードのバロー教授が宗教と経済成長の関係を調べた。ミクロ経済学のレベルでは幾つかの研究が宗教への参加と低い犯罪率や低い麻薬汚染率等と関係があることを結論付けている。
- しかし最近まで宗教が収入に直接的に影響を与えるのかどうか、もし与えるとすればどの程度与えるのかということに関する定量的な調査は殆どなかった。大きな障害は原因と結果のもつれを解くことの困難さである。しばしば教会に行く者の収入が教会に行かない者より高いということは宗教が彼等を豊かにしているということを証明しない。それは豊かな人が教会に行く可能性が高いということかもしれないからだ。または関係のない特徴例えば大きな野心とか個人的な規律が教会に行くことと仕事の上で成功することを導いている可能性があるからだ。
- 同時に起きることと原因を区別するため、Gruber氏は近隣地域と人的集団の人種上の情報を活用している。
- Gruber氏の方法論の詳細は省略するが、氏によると「共同篤信家」(co-religionist:人種は違うが宗教は同じという定義)の密度がある地域で10%増えると教会に行く比率が8.5%増え、それは0.9%の所得増に繋がるということである。他の経済学者達は、Gruber氏のアプローチは賢明なものだが、彼が教会へ行くことと裕福さの偶然の連関を証拠立てたかどうか確かではないと言う。
- 教会に行くとどのようにして裕福になるのか?ということについてGruber氏は幾つかの可能性を示唆する。一つのもっともらしいアイディアは教会に行くことは「社会的資本」~信頼を育む相関関係のネットワーク~を生むというものだ。経済学者達はそのような結びつきがビジネス遂行をスムーズにし、取引コストを安くすると考える。
- もう一つの可能性は一つの教会のメンバーは感情面と(恐らく)金融面の相互保険を享受しているというものだ。これらにより人々は失業等の困難な事態からより早く立ち直ることができる。また恐らく宗教と豊かさは教育を通じて結びつくものだろう。Gruber氏の研究結果はより教会に多く行く者は就学年数が長くドロップアウトの可能性が低いことを示唆している。
- 最後は宗教的信念そのものが日々のストレスを避けること等により豊かになる道筋となるというものだ。しかしキリストは弟子達に地上で富を積むことを戒めていることを思えば豊かになることが教会に行く動機ではないと考えた方が良いかもしれない。
以下はコメントである。
- 戦後日本では信教の自由ということを強調する余り、宗教の教育的効果等を無視して無宗教化することを持って信教の自由と考えてきたのではないか?信教の自由とは行政当局が特定の宗教・宗派を優遇又は差別することを禁じるものに過ぎないということを理解する必要がある。正しい宗教活動は社会資本になるという主張にはもっと耳を傾けるべきである。
- ところで宗教には大きく分けて二つのタイプがある。一つは新興宗教等に代表される「ご利益(ごりやく)直結型」でもう一つは伝統的大宗教に見られる「魂の救済型」である。もっとも伝統的宗教もご利益直結型に陥ることはしばしばある。キリスト教も中世にカトリックが免罪符を売ってご利益直結型に陥った後激しい反省から新教が生まれ、その影響でカトリックも魂救済型に戻った歴史がある。
- ご利益直結型とはお布施を納めながらある特定の願いを神仏に祈れば聞き届けられるというもので、典型的にはお布施の多寡により効果が異なると説く。魂の救済型とは現世の利益よりも魂の救済を重視する。神仏という絶対者のはからいは個々の人間の欲望を越えたものであり、神仏に祈ったところで現世利益が必ずしもかなうものではないという考えに立つ。正統的な仏教・キリスト教・イスラム教等の大宗教は概ねこの考え方に立つと考えて良い。
- 無論エコノミスト誌の記事はご利益直結型の宗教について論じているのではなく、魂の救済型であるキリスト教においてもある程度の現世利得があるということを科学的アプローチから述べたものである。
- 私はご利益直結型についてかなり懐疑的な思いを持っている(全否定する訳ではないが)。それは例えばある有名大学の全志望者が神仏に祈願するとした場合、神仏はどの様にして合格者を決めるか?ということを考えるとご利益直結型の問題点が分かる。日本でも大学受験者と天神さんのご利益の相関関係を分析するなどという実証的研究をする人が出てくると面白いかもしれない。
- いずれにしろエコノミスト誌が紹介した研究が正しいとすれば、教会に行く回数を倍にしても収入が増えるのは1割程度だから、身代を傾ける程宗教にのめり込むのは経済的には効率の悪い話ということになる。