金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

晩夏は鹿島槍を目指す

2012年08月27日 | 

今年の夏は例年になく、頻繁に信州方面に山登りにでかけた。これ程頻繁に出かけることが前もって分かっていれば「あずさ回数券」でも購入しておくのだったが・・・。7月末の中央アルプス駒ケ岳、8月初めの剱岳とタンボ沢の下山、先日の焼岳、そして最後が今週末の鹿島槍ヶ岳である。それぞれ楽しい山登りだったが、個人的に一番期待しているのは、今度の鹿島槍ヶ岳登山である。というのはまず鹿島槍ヶ岳が私にとって初めての山だからだ。

鹿島槍ヶ岳を好きだという人は多い。深田久弥は「日本百名山」の中で「鹿島槍ヶ岳は私の大好きな山である。高い所に立って北アルプス連嶺が見えてくると、ます私の眼の探すのは、双耳峰を持ったこの山である。・・・・・一口に美しいと言っても、笠ヶ岳のように端正でもなく、薬師のように雄大でもなく、剱岳のように峻烈でもない。そういう有り合わせの形容の見つからない、非通俗的な美しさである。・・・一たんその良さがわかると、もう好きで堪らなくなる、そういう魅力を持った美しい姿である。」と絶賛している。

Kashimayarigatake

写真は私が今年の8月初旬に剱岳に登った時頂上から撮ったものだ。鹿島槍の双耳峰がきれいに写っていると思うが、深田久弥の百名山は次のように述べている。「この山は信州側から見るのがよく、越中側からでは、・・・やや精彩を欠く。」

まさに剱岳からの眺めは精彩を欠いているかもしれないが、この山への登頂意欲を高めるワンショットであった。鹿島槍ヶ岳は私のように古い大学山岳部の出身者には、意外に遠い存在だった。鹿島槍ヶ岳が大学山岳部が目指したアルピニズムの舞台になるのは、積雪期である。東面の尾根や岩壁は、積雪期には若いアルピニストに絶好の舞台を提供するが、雪のない時期はboringな山である。積雪期には槍ヶ岳などチャレンジングが目標を持っていた我々が,鹿島槍ヶ岳を後回しにしていたのは、やむを得ないことだと私は思っている。

だがとうとうその鹿島槍ヶ岳2,890mの頂上を目指す日が迫ってきた。

昼の雲

船のさまして動かざる

鹿島槍てふ

藍の山かな

三好達治

鹿島槍ヶ岳の時期が迫っている。山は常にワクワクさせるが、今回のワクワク感はかなり大きい。深田久弥は「(初めて頂上に立って)以来鹿島槍は私の心を擒(とりこ)にして今日に及んでいる」、とまで絶賛しているが、果たして鹿島槍は私の「山の引き出し」の中でどれほどの場所を占めるだろうか?

これは登る前からの楽しみである。

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秘湯はひとなり、中の湯温泉

2012年08月27日 | うんちく・小ネタ

焼岳登山の後に泊まった中の湯温泉・中の湯温泉旅館は「日本秘湯を守る会」の会員宿である。「秘湯を守る会」のHPによると、会員宿は185軒で、都道府県別では中の湯がある長野県が26軒で一番多い。

秘湯とは何か?という問いに「守る会」は「旅人の心に添う 秘湯は人なり」が理念で、会員宿は「限りある地下資源である温泉を守るために環境保全・保持に真剣に取り組もうとする」集団と述べている。

秘湯は一般には交通の便が悪い山の中が多い。中の湯温泉も決してアプローチが便利な訳ではないが、ここから見る穂高連峰の景色は最高だ。宿に頼まれての宣伝ではないが、ここから上高地までは車で30分程度、朝夕はホテルから送迎バスがでている。

私達の宿泊代は一泊二食付で1.6万円。山宿としては安くはないが、上高地のホテルに較べるとかなり安い値段だ。中の湯温泉の宿泊客の客筋をそれとなく観察すると、この時期は登山者よりマイカーで来る家族客などの方が多いと思われた 。家族で泊まって、温泉を楽しんで上高地を往復するには良い場所である。

ところで私自身は「秘湯派か?」と言うと、必ずしも「秘湯を守る会の会員宿」に拘っている訳ではない。たとえば数年前の初冬に小谷温泉に泊まったことがあるが、この時は「秘湯を守る会」の百年の歴史を持つ山田旅館ではなく、「栃の樹亭」という新しい旅館に泊まった。山田旅館が一杯だったのか、それとも敢えて栃の樹亭を選んだのか、記憶は定かでない。しかし私の好みは古い建物(内部の設備も古いことが多い)よりも、新しい建物であり、伝統にお金を払うより、実質的な料理やサービスにお金を払いたいというものだから、栃の樹亭は好みに添った選択だった。

中の湯温泉旅館は、秘湯であるとともに私の好みにも合っている。現在の建物は、1998年の安房トンネル工事の水素爆発事故の後、現在の場所に新築されたもので、設備は新しく清潔感にあふれていた。また一軒宿なので、焼岳登山基地として選択肢がない!ということも良い点だ。登山基地の一軒宿という点で、長野県の「秘湯」の中で同じ環境にあるのは、有明・中房温泉である。

ただ人気の高い一軒宿の場合、宿泊料金は高くなりがちだ。中房温泉もHPによると、バス・トイレ付きで1.8万円以上であった。環境保全に務めながら、不便な場所で質の高い宿泊サービスを提供するとなると、ある程度の値段を取る必要はあるが、宿泊者としては、頻繁に気軽に行ける値段ではない。秘湯は山屋にとっては、滅多に行かないから秘湯なのかもしれない。

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焼岳は焼けていた~2012年8月~

2012年08月27日 | 

8月最後の週末、某ロータリークラブのトレッキング同好会の人たちと北アルプスの焼岳に登りに行った。「北アルプスの」と断ったが、焼岳という名前は火山国の日本では他にもありそうで、実はこの山以外にはない。ただ焼山という名前の山は全国的にかなりあるが。

当初計画では上高地から焼岳に登り、中の湯に降る予定だったが、「登りの鉄梯子がきついのではないか」という長老の意見で、急遽中の湯からの往復にルートを変更した。ただしハイシーズンなので宿泊場所はそのままとした。1日目の8月24日は上高地温泉ホテル泊り。午後5時に到着した後、夕立で洗われた梓川周辺を散歩した。対岸には霞沢岳がすっきりと立ち、此方には焼岳が魁偉な姿を見せていた。

Kasumisawa_3

Yakedake_2

岳沢の上には奥穂・前穂を結ぶ吊尾根が天空を区切っている。

Dakesawa

登山日の8月25日もここ数日同様快晴でかなりの高温が予想された。7時半にホテルをジャンボタクシーで出発して、中の湯温泉経由で、11号カーブの新中の湯ルート登り口に到着。私の古い国土地理院の地図には、この新ルートは出ておらず、旧ルートがでている。古い地図を使っている人は要注意だ。登山開始は8時32分、GPSによると標高1,575mだ。なお今回GPSが示す標高と実際の標高に少しズレがあると思われたが、ここではGPSのデータを使う。

8時32分登山開始。ゆるやかな道はすぐに林の中の急登に変わり、やや滑りやすい道が続く。1時間ほど登ると傾斜が落ち、歩きやすい道となった。しばらくするとまた急登となり、その上の緩傾斜帯を登っていくと、廃道となった旧道との分岐点に出会った。10時20分頃である。この辺から焼岳の頂上が見えてきた。それにしても猛烈な暑さだ。旧道分岐点までの標準コースタイムは1時間30分だが、1時間50分かかっている。

Yakedake2

分岐点から上は潅木帯となり、やがてゴロゴロした岩が増えてきた。先頭を歩く会長のペースがガクンと落ち、休憩を取る頻度が多くなった。11時45分標高2305m地点到着。会長は暑さで少し参っている。山頂はもう目の前だ。標高差にして140m程だ。写真は登山可能な北峰(2,444m)

Closetopeak

だが軽い熱中症だとすると無理はいけないので、2班に分け、元気組は焼岳頂上へ向かい、私達は会長をアテンドしてここから引き返すことにした。

空を見ると虹色の雲が見えた。彩雲である。彩雲は古来瑞兆と言われているが、何か良いことがあるのだろうか?

Saiun

それにしても猛烈に暑い。

土の色まったく白し炎天下 立子(星野立子 俳人 高浜虚子の次女)

の世界である。

ハイドレーションシステム(ザックに入れた吸水パック)の温くなり、美味くない水を飲みながら下山を続けた。

焼岳は天地(あめつち)すべて焼けており 北の旅人

Leaveyakedake_2

とはいうものの、草の斜面の緑は生き生きとして登山者の眼を和ませる。午後2時17分無事中の湯温泉到着。軽い熱中症気味だった会長も冷たい飲み物を飲んで回復。午後3時には登頂組も帰ってきた。標準的なコースタイムよりかなり遅いがこの猛暑ではピッチが上がらなかったようだ。本当に焼岳は焼けている、と感じた一日だった。

「yakedakeroute.pdf」をダウンロード

★   ★   ★

焼岳は初めて登る山だったので頂上を踏まなかったのは少し残念だった。今度は暑い時期の登山は避けて、雪のある時期に歩いてみようかな?と考えている。

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