年に3,4回発刊される元の会社のOB会報が届いた。
会報の紙面の大きな部分はOB(およびOG)が寄稿した近況で占められている。パラパラと近況を見ている時ふと沢木耕太郎の「世界は『使われなかった人生』であふれてる」というエッセーを思い出した。これは「暮らしの手帳」に連載された映画評論を集めたものだ。
その冒頭で沢木は「楽器好きの若者が音楽では食っていけないよと言われて普通の会社勤めの道を選んだ時、そこに『使われなかった人生』があるといえるのだ」と述べている。
そして「使われなかった人生はその人が使わなかったと気づいた時点で一部であっても使うことができるのだ」と述べている。
OBの近況報告は健康状態に関するものが多いが、中には「アルトサックスを始めた」とか「タンゴダンスの世界選手権の予選に出た」などというとても前向きな話にも出会う。
ああ、この人は使われなかった人生をいま使い始めているんだ、と感心する。
昔やっていたことの延長線を伸ばしていくという人生も良いが思い切って「使われなかった人生」を振り返り、やりたかったことでできなかったを見直すのも良いのではないか?と思う。
さて自分にとって「使われなかった人生とは何だったのだろうか?」と考えると、はた困ってしまうのだが・・・