先週お盆の時期は、自宅でテレビ野球観戦や読書をして過ごしました。スポーツクラブや日本語レッスンがお盆休みだったからです。
読んだ本の中に図書館で借りた角田光代さんの「わたしの容れもの」というエッセー集がありました。
その中に「かなしい低下」という一節がありました。歳をとって低下したと実感するのが読書体力だという話です。角田さんは「体力が落ちたということもさほど感じない私が、四十代になってもっとも実感したのが、読書体力の低下だ。」と書いています。
私はこの一文を読みながら「読書することが仕事の一部であるような作家さんでも、四十代で読書体力の低下を感じるんだ。僕がこの年になって読書体力の低下を感じることは何の不思議もない」と改めて思いました。
さきほど「お盆休みは自宅で野球観戦や読書をして過ごした」と格好良いことを書いたのですが、実は読書の方があまり長続きせず、少し本を読んでは、スマートフォンを見たり、将棋ソフトで遊んだりだったのです。
また読む本も「わたしの容れっもの」のようなエッセー集や紀行文が多くなりました。これらは一章の文章が短く独立しているので、根気がなくても読むことができるから、長い小説より楽なのです。
さて「歳をとるとどうして読書力が低下するのか?」という問題を考えてみました。
考えるといっても一般的な情報はAIから得た方が早いのでAIに聞いてみました。その回答は「視力の変化(低下)」「脳の萎縮と機能低下」「集中力の低下」「眼球運動の変化」「言語処理能力の変化(低下)」「認知機能の変化(低下)」というものでした。
これは加齢に伴う肉体的変化と読書力の低下を論じたものですね。
私はもっと大きな原因は「本を読む必要性が低下した」ことではないか?と考えています。働いているときは、仕事の性質上「経済に関する新しい学説など色々な知識を仕込むために読書することが必要」だったのです。読書というインプットなしに仕事というアウトプットは成立しなかったのです。
つまり働くということが、本や新聞を読むという習慣を植え付けていたのです。ところが仕事を辞めると「本を読む」という必要性は大きく減少しました。もっともボランティア活動などでそれぞれの分野の知識を仕入れるために少しは「本を読む」必要性は残っていますが。
趣味や娯楽のための読書は残っています。ただしこの読書は、ドラマやスポーツ鑑賞とか、オンラインゲームあるいは音楽鑑賞などと代替性が高いものです。多少なりとも頭を使う読書に疲れるとすぐもっと楽に時間を消費する遊び事に移ってしまうのです。つまり集中力が続かないのです。
さて「読書が老化防止(あるいは老化を遅らせること)に役立つ」とすれば、読書力の低下を防ぐことは多くのシニアにとって重要な課題になります。
そのための私の一つの答は「本を読む必要性を維持する」ということです。そのためには「頭を使うボランティア活動など知的活動を続ける」ことです。SNSなどに内容のあるものを書き続ける習慣を維持することも良いことだと思います。
もう一つの答は「読書の三上」の機会を作り出すことです。読書の三上とは中国の詩人が言った「馬上・机上・厠上」で、ここがものを考える上で良い場所だという意味です。
馬上は現在では列車や飛行機の中です。サラリーマン時代は出張時に往復の列車の中などで読書を楽しむことができました。
これからは往復の電車や列車の中で読む本を持って、軽い一人旅にでるというのも読書力や好奇心を維持する上で効果的かもしれませんね。