先日一般社団法人 日本相続学会の研究大会で行動経済学者の川西諭教授の「高過ぎる参照基準点が相続争いの一つの原因だ」という話を聞いた。この話を敷衍して少し考えてみた。
行動経済学は人間の効用判断は絶対額ではなく、その額を判断するある基準によって変わるということを明らかにした。
ボーナスが10万円増えた場合でも増えて当然の考えている人と増えることを期待していなかった人では喜びが違う。
バーゲンセールでは¥10,000→¥6,800といった値札を目にすることがある。消費者はその商品の価値が¥6,800に値するかどうかを考える前に10,000円が6,800円に値引きされたので安いと判断してしまう。これは10,000円という価格がアンカーなり、消費者はそこを判断の基準点としていることがわかる。
大きく考えると基準点は心の持ち方といってもよいだろう。
次のような格言がある。
心が変われば態度が変わる。態度が変われば行動が変わる。行動が変われば習慣が変わる。習慣が変われば人格が変わる。人格が変われば運命が変わる。運命が変われば人生が変わる。
この格言の出どころは複数あるようで、ヒンドゥ教の教えだと書いている人もいた。ヒンドゥ教の経典のどこに書いてあるのかは分からないが、カルマ(結果を伴う行為)と因果応報の理論に呼応するので、ヒンドゥ教の教えの中にあるのかもしれない。
さてこの格言の中間を飛ばすと「心が変わると人生が変わる」ということになる。心が変わるということを「効用判断のベースとなる参照基準点を変える」という言葉に置き換えるとタイトルの「参照基準点を変えると人生が変わる」という言葉になる。
高過ぎる欲望は時に人を苦しめる。食欲のような物欲には通常際限がある。人が食べることのできる量には限りがあるからだ。だが金銭(特に帳面上の金銭)はいくらでも所有することができるので、欲望に歯止めがない。歯止めのない欲望がその人の参照基準点を押し上げ、結局どこまで行っても満たされることがない状態が続くのではないだろうか(経験がないのでわからないが)
結局「幸せとはなにか」ということについて正しい基準点を持たない限り、人は幸せになることはできないのだろう。そして正しい基準点を見出した時、行動が変わり、人生が変わるのである。
古来世界的な宗教は超越的に貪欲を戒めてきた。聖書は「富めるものが天国に行くことはラクダが針の穴を通るよりも難しい」として、富者に貧者への施しを求めた。イスラム教やヒンドゥ教も施しを重要な宗教行為と教える。
このような宗教的フレームワークを持たない現在の日本は自由で気楽な社会なのだが、自分で正しい参照基準点を見出す必要があるので、一方大変な社会なのかもしれない。
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