書評の参考にと思って『バカは死んでもバカなのだ―赤塚不二夫対談集―』(毎日新聞社、2001年)を読む。
この本の最後の対談相手が藤子不二雄A(我孫子素雄)さんなのですが、そこで語られる「スタジオ・ゼロ」のことがめちゃくちゃ面白かった。
「会社ごっこ」と赤塚さんはいってますが、経営だけでなく内情もハチャメチャだったらしい。
この本の最後の対談相手が藤子不二雄A(我孫子素雄)さんなのですが、そこで語られる「スタジオ・ゼロ」のことがめちゃくちゃ面白かった。
1970年、大学に入学した私は西新宿6丁目に四畳(!)のボロアパートを借りました。成子坂下の交差点のそばで、ふだんは青梅街道沿いに新宿駅まで往復するのですが、気が向いた時は新宿中央公園を抜け、十二社(じゅうにそう)の方を回って帰ったりしたものです。その際、十二社の交差点角のビルに「スタジオ・ゼロ」の看板があるのを眺めるのが楽しみでした。「ここでオバQの藤子不二雄さんや、天才バカボンの赤塚不二夫さん、ジュンの石森章太郎さんが仕事をしているんだ」と心ときめかせたものです。
今回、調べてみるとスタジオ・ゼロは1970年に解散していますから、ギリギリ最後の姿を見ていたわけですね。
で、対談で藤子さんが語るスタジオ・ゼロの真相は――
- 「……最高80人いた、社員が。すごいですよ。それで重役は月給を1回ももらったことがない。専務がいてね、つのだ氏の兄さんなんだけど。(給料日の)25日の前の24日に重役会議をやるんですよ。必ず重役会議の時にみんな何十万という社員の月給を持ち寄るわけ。重役がお金出すんですよ、月給を。たまらんよ」
重役というのは
- 赤塚不二夫
- 我孫子素雄
- 石森章太郎
- 鈴木伸一
- 角田喜代一(つのだじろうの兄)
- つのだじろう
- 藤本弘(藤子不二雄F)
「会社ごっこ」と赤塚さんはいってますが、経営だけでなく内情もハチャメチャだったらしい。
誰か調べて本にしないかな。「第二のトキワ荘」とかいうサブタイトルで。新書1冊にちょうどくらいだと思うんですが。