タイトルどおり、アンデス地方のミイラ信仰の話なのですが、インカ帝国の興亡がミイラと密接に関係していたと説かれていて、びっくりしました。昔、勉強したインカの歴史には、こんなことは出てこなかった。
もともと死者をミイラにしていたのは、太平洋岸のイロという土地に住む人々だったという。海岸まで砂漠が迫っていて、放っておいてもミイラが出来てしまうような土地柄なのだ。今から2700年前のミイラも発掘されている。
インカ帝国がイロを支配下に収めたのは15世紀のこと。同時にミイラ作りの風習がインカ帝国にもたらされた。以後、皇帝は死後もミイラとなって君臨しつづけることになる。
そうすると困るのは、次の皇帝だ。先代が死んだから皇帝の地位を継いだのに、ミイラがもとの領地を治めつづけているので、自分は新たな領地を開拓しなければならない。
というわけで、15~16世紀、インカ帝国は飛躍的に領土を拡大してゆくことになったのだという。
なんだか笑ってしまう話です。実際にはミイラが統治行為を行なうわけではなく、ミイラの代弁者やミイラ皇帝の臣下たちが自分たちの権益を守りつづけたということなのですが、それにしても、目に見える形で皇帝が存在しているからこそ、そんな主張が通ったのでしょうね。
番組は、帝国の滅亡もミイラのせいだという。
歴代のミイラ皇帝が権益を握りつづけることに業を煮やした生ける皇帝(誰だっけ?)が、ミイラ皇帝たちの財産を没収するという政治改革を断行する。しかし、ミイラ皇帝に仕える者たちは強く反発、帝国は大混乱に陥った。そこへ乗り込んで来たのがピサロを始めとするスペイン人たち。混乱に乗じてやすやすとインカ帝国を滅ぼしてしまったのだというのですが……。
死者を敬う風習は、アジア大陸から渡って行った人々ならではのものなのでしょうか。そういえば、古代の日本人たちも死者の怒りを恐れて、ずいぶんと奇妙なことをしていたなあ。