亡くなった高倉健さんの映画をよく観たのは大学生だった頃。ほとんどがヤクザ映画ですが、あれもこれも一緒になっていて、どれがどうだったのかはほとんど覚えていません。
大概が次のようなストーリーだったと思います。
刑を終え、出所しても行き場所のない健さんが、かつて縁があった組にやっかいになる。与えられた役割をじっとつとめているうちに、周囲でおこなわれている非道ぶりが目に余るようになってくる。
そして、軋轢の中でまっとうな人や心を寄せる女性が犠牲になろうとする。健さんは見て見ぬふりをし、ぎりぎりのところまで自分を殺しているが、ついに耐えられなくなり、もろ肌を脱いで背中の刺青を晒す。
ここで「待ってました!」の声がかかるんですね。
そして、刀を振るい、悪役どもをなぎ倒す。その時、観客はカタルシスに陶酔したのでした。
耐えに耐えた果てに、ついに自分を捨てて正義を全うする――こんな美学に貫かれたシナリオ。繰り返し、繰り返し、それを演じる健さんは、一種、シジフォスの神話の主人公のようでした。
ただ、「それは違うだろう」と否定しながら観ていた私自身がいたことも確か。
役者らしくない役者でありながら、これほどに支持を得たのは奇跡的だったと思います。人柄なのでしょうね。合掌。
写真はアメリカイヌホオズキの花。ナス科の一年草です。
木枯らしが吹き始め、道端が寂しくなるこの季節に花をつけていてくれるのはうれしい限り。
「ホオズキ」という名がついていますが、実はひねこびた極小ミニトマトのよう。それでも可愛いです。