自宅を建てたのは昭和の終わり頃、築26,7年になる。急に修理を要するところはないが、今年に入って屋根の葺き替えを検討し始めた。ところが大手のS林業の見積もりを取ると当初の話の8割増し位の金額を持ってきた。そこで地場の専門店に見積を依頼したが、こちらも中々サクサクとは進まない。消費税引き上げ前の駆け込み需要や2月の大雪の被害修復などでてんてこ舞いのようだ。
それはそれでやむを得ないのだが、人間、時間があるとあれこれ考えだすものである。「この家に住み続けるか」「もっと年を取ったら駅前あたりのマンションに移るか」「もし10年位で移るのであれば屋根を修復する必要があるのか」などなどである。
今マンションに移ってしまう、という選択肢ありそうだが小さいとはいえ、時々草花の咲く庭や無料のガレージには未練がある。
そもそも京都育ちの私に「東京近辺でどこそこに住みたい」などとあまり好みはなかった(無論prestigiousな地名は知っていたが手が出なかった)。では何故この西東京というところを選んだか?というと東京での最初の勤務地が池袋で西武鉄道などこちら方面に強い企業を担当していたからだった。そしてその中の一つの取引先に建築を依頼して建てたのがこの家である。
沢木耕太郎に「点と面」というエッセーがある。その中で沢木氏は次のように述べている。「東京のように大きな街になると、他県から最初に出てきた時にどのような地域に住んだかが、それ以降の住所を決める際にもかなり重要な意味を持つものらしい。一種の『刷り込み』現象のようなものなのだろうが・・・・」
その「刷り込み」現象が私の半生を支配した・・・などというと少し大袈裟だろうか?
東京で育った期間が長い私の二人の娘にはこのような「刷り込み」はないようで、さっさと便利な都心の賃貸マンションに引っ越してしまった。それは持家と賃貸の差からも来ている。我々が若かった時は早く家を手当しておかないとどんどん高くなり手が届かなくなるという焦りがあった。だが少し前までは不動産価格は下落が続いていたので、優良な新築マンションを除いては慌てて買う必要はなかった。
「持家指向」から「賃貸指向」への転換が住まいの流動性を高め、刷り込み現象を緩和しているのではないか?これは私の仮説だが。
ワイフにとっては我が家が電車の駅から少し遠い(徒歩17,8分)ことが不満の種のようでいつかは駅に近いマンションに替わりたいという希望を持っている。これに対する私の反論は「健康のため一日一万歩は歩きなさい」という時代。駅を往復しても一万歩にならない位だから、駅近くに住んだりすると本当に歩かなくなるよ、というものだ。しかしワイフからは「歩くならもっと楽しい散歩道が良い」などとカウンター攻撃を受けている。この勝負は私が先に死ぬか足腰が動かなくなる時まで決着しないかもしれない。
愚痴っぽい話を聞いて頂いて恐縮であるが、開始する予定の工事が始まらず時間があると工事をすることの妥当性から考え直してしまいそうになるって話。ものごとって時間がありすぎると返って上手く行かなくなる場合がありますよね?
それにしても同じような悩みを抱えている人は多いのだろうなぁ。