映画「杉原千畝 スギハラ チウネ」を見て、駐ドイツ大使大島浩について感じたことは前のブログで書いた。
今は更にそれを広げて、戦前の日本のインテリジェンス問題を考えてみた。まずインテリジェンス=情報活動は、二つのレベルに分けられる。英語でいうとインフォメーションとインテリジェンスである。インフォメーションは集めてきた生情報であり、データである。その生情報を分析・加工し、政策の企画・立案のための知識に高めたものが、インテリジェンスである。
非常に大雑把にいうと、戦前の日本は英米に較べ、インテリジェンスを使って政策決定を行うことがうまく機能しなかったといえる。そのことを独ソ開戦前夜の動きを見ながら考察してみたい。
【年表】
1939年8月23日 独ソ不可侵条約締結
1939年8月28日 杉原千畝 リトアニアのカウナスに領事として赴任
1939年9月1日 ナチス・ドイツ、ポーランドに侵攻
1939年9月17日 ソ連、ポーランドに侵攻
1940年6月14日 ナチス・ドイツ、パリに無血入城
1940年6月15日 ソ連、リトアニアに進駐
1940年7月18日 杉原 千畝、ユダヤ人にヴィザ発給開始
1940年8月31日 杉原 千畝、リトアニア退去
1940年9月27日 日独伊三国同盟締結
1941年4月18日 大島大使、杉原等の情報を元に「独ソ開戦が近い」という警告電報を東京に打電
1941年6月22日 独ソ開戦開始
「日本軍のインテリジェンス」(小谷 賢)によると「インテリジェンスを担当する参謀本部第二部や海軍軍令部第三部は、独英戦争におけるドイツの優位をそれ程強調せず、特に第三部は英空軍を善戦を強調し、損害は独空軍側が大きいと主張していた」「しかし。ここれらの情報は、英米に偏り過ぎた情報、もしくは『雑音』として処理され、大島浩駐独大使をはじめとするベルリンからの親独的な情報ばかりに注目が集まっていたのである」ということだ。
大島は1941年4月に独ソ開戦が近いという情報を打電するが「(ソ連から)帰国した松岡外相が否定的であり、陸海軍も独ソ開戦せずという空気であったので、そのまま見送られた」
一方5月に大島電報を解読した英国のチャーチル首相は米国のローズヴェルト大統領に「ドイツの対ソ攻撃が迫っている。もし新たな戦線が開かれれば、我々は対独戦争のためにロシアを援護するべきだろう」という秘密書簡を送った。
日本の政府首脳や軍部は「客観的事実に基づいた判断」ではなく、「独ソ開戦はない(だろう)から、日米開戦もない(だろう)という自分にとって都合の良いシナリオにそって情報を取捨選択」したのである。
日本が第二次世界大戦に踏み込んだ大きな理由はドイツの軍事力(戦力+国力)を過信し、かつその野望(ソ連との戦争)を見抜けなかったことにあるといっても良いだろう。
「杉原 千畝」はインテリジェンスの重要性を改めて考えさせる映画である。
なおインテリジェンスが重要なのは戦争や政治の世界だけではない。我々の回りにも「儲け話」のような怪しい情報は飛び交っている。生の情報を鵜呑みにするのではなく、それをインテリジェンスに高める情報処理能力がないと情報氾濫時代を無事に乗り切ることは難しくなっているのである。