「好きだけれど詳しく知らない」というものがある。私にとって芭蕉の俳句というのはそのようなものだ。
旅先で芭蕉の句碑を見ては、芭蕉はこんなところまで来て俳句を詠んでいるのだ、と感心することも多い。しかし生来のなまけもので、芭蕉を体系的に勉強しようという意欲はない。
旅先というと先日大阪から乗った新幹線のグリーン車の中の「ひととき」に掲題の句についての記事があった。
話はそれるが私は東海道新幹線に乗る時、4,5回に1回程度グリーン車を使うことがある。贅沢だとは思うが、在来線等に較べると東海道新幹線のグリーン車は普通車に較べてシートがゆったりしていて、お値打ち感がある。「ひととき」や「ウエッジ」を読みながら、水割りを飲み、眠くなったら眠るというのは、楽しいひと時であり、飲み会一回分の値打ちはあるだろう。
さて「海に降(ふる)雨や恋しき浮身宿」の句である。この句は芭蕉が奥の細道の旅の途中、新潟で詠んだそうだが、「奥の細道」には載っておらず、芭蕉作と認めない学者も多い。真贋はさておき、甘くて艶っぽいところが良い句だと思う。
浮身とは越前越後地方の遊女で旅商人が宿に滞在するとき、同居して世話をしてくれたという。
「奥の細道」は越後越中地方に実にそっけない。酒田で知人との惜別に日を重ねた芭蕉は急ぎ足で金沢(加賀)まで旅を続ける。途中「荒海や佐渡に横たふ天の河」という超有名な句を残すが、月山・羽黒山・最上川などでの句作のペースに較べると完全にペースダウンしている。
「暑湿の労に神を悩まし、病おこりて事をしるさず」と奥の細道に芭蕉は書いている。時期は現在の暦で8月中旬。一番蒸し暑い頃だ。旅の疲労も積り、句作のモチベーションも下がっていたのだろう。そんな時「浮身」が親身に世話をしてくれたのだろう。あくまでも推測だが。
海に降る雨を見て芭蕉は親切だった浮身宿を思い出している・・・。奥の細道には「一家(ひとつや)に遊女も寝たり萩と月」の句が載っているが、こちらは少し離れた場所から遊女と一つ屋根の下で寝ている芭蕉を客観的に眺めている感じで、切なさにおいては「海に降雨」の方が上ではないか?と私は感じている。
ちなみに「海に降雨」の句には季語がないと「ひととき」は書いていた。芭蕉は無季の句を否定せず、その可能性を探っていたという。
季語を気にせずに「つぶやき」を俳句として良いのであれば、俳句はもっと楽なものかもしれない・・・などと考えている。