金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

輪廻転生の私的解釈

2017年11月13日 | ライフプランニングファイル

この前「化身と輪廻転生」というエントリーを書いた。

その続きで「輪廻転生」について私なりの解釈を述べてみよう。

「輪廻転生」というのはインド的死生観である。これに対して「最後の審判型」死生観というのは大雑把にいうと中近東・ヨーロッパ型死生観といえる。人口の点で残る大きな地域は日本・中国などの東アジアであるが、この地域の死生観を一言でまとめるのは難しい。

敢えてずばっというと「現世重視型」(死後の世界は関知しない)である。それは孔子の「我未だ生を知らず 焉んぞ死を知らんや」という言葉に端的に表れている。「生きている人生ですら分からないのに、どうして死後のことなんか分かるものか」という意味だ。

こんな大雑把な切り口は当然反論があるだろう。孔子だって祖霊を祭っていたではないか?日本人だって仏様に後生を祈るのではないか?と。

だがこれまた大雑把に切ると「日本人は薄い仏教徒であり薄い神道家」であり恐らく中国人はもっと薄い仏教徒か道教徒なのである。

「薄い」というのはここでは「知識や習慣として宗教を受け入れている」という意味で、神や仏が行動規範にまでなっていないと考えられる。

反対の「濃い」というのは、神仏を絶対的なものとして、生きる上での規範として受け止めていることを指す。

つまり舞台装置は違えど、インドや中近東・ヨーロッパ(最近は無宗教の人が増えているが)では、宗教が教える死生観を規範として人々は暮らしてきたと考えることができる。

さて「舞台装置が違えど」と述べた。「輪廻転生」と「最後の審判」では死後の世界は随分異なる。しかし生きている時の精神面について見るとそれ程の違いはないいうことができると私は考えている。

つまり「神など絶対的なものに対する敬虔」「戒律の遵守」「喜捨」「貪欲の戒め」などは、世界的宗教に共通する価値観ということができる。

私は死後の世界観に「輪廻転生」と「最後の審判」の違いがでたのは、その宗教が生まれた気候風土の影響が大きいと考えている。高温多湿のインドおよびネパールの南部では、動植物が大いに繁殖する。森に入ると倒れた木の後に若い木が育ったり、昆虫が育つのを見ると輪廻転生ということを古人は思いついたのではなかろうか?

結論をいうと「輪廻転生」も「最後の審判」も「正しい生き方をしなさい」という教えなのである。そして「正しい生き方をすれば死後の世界で報われるから死を思い悩む必要はない」という教えなのである。

その点では舞台装置は違っても、目指すところは同じと言えると私は考えている。

さて輪廻転生を私なりに現代的に解釈してみよう。悪いことをした人が地獄に墜ちたり、餓鬼道に生まれ変わるということは科学的にはあり得ない。しかし悪い生き方をしていると一般的には子どもや子孫は悪い生き方を真似る傾向がある(反面教師として良い生き方をする場合もあるが)といえる。また周りの人が「あの親の子だから」と既成概念で子どもや子孫を判断することも多いだろう。そしてその逆のケースも多いと思われる。

子どもや子孫を自分の生まれ変わり(遺伝子的にはまさにその通り)だから、良い生き方は子どもや子孫に良い影響を及ぼすことが多く、悪い生き方は悪い影響を及ぼすことが多いのである。

「良い生き方」とは一言でいえば、満ち足りた生き方である。「輪廻転生」とは結局のところ、多くの人が答のでない死後の世界に迷うことなく、満ち足りた生き方を送るために、数千年前の知恵者が考え出した一つのフィクションである。

そして今日的に考えても、ある種のリアリティを持ったフィクションなのだろうと私は考えている。

 

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使えそうなASUSミニプロジェクター

2017年11月13日 | デジタル・インターネット

山仲間にスライドショーを見せるため、ポケットサイズのプロジェクターを買った。

AsusのZenBeam E1で購入価格は2.6万円程度だった。投影距離は0.5m~3.7mだから10人程度が集まって小さな部屋で見る分には十分だ。明るさは150ルーメンと本格的なプロジェクターに較べると暗いもので、部屋を暗くしないときれいな映像をみることはできない。

しかしポータブル性や使い易さと値段を考えるとまずますバランスは取れていると思う。

なお付属品として接続ケーブルが付いてきたが、これは双方の端子がHDMI端子なので、パソコン(サーフェス)には接続できない。

そこで片方がMini display portになった接続ケーブル(4千円程度)を購入した。

なおASUSのホームページには、「スマートフォンやタブレットの映像を大画面で楽しめる」とあるが、スマートフォンと接続するには、また別のケーブルが必要になる。パソコン専門店に聞くと、プロジェクターとスマートフォンの接続は相性のようなものがあり、必ずしも上手くいくとは限らない(事前に双方の機種番号が分かれば調べてくれるとのこと)ということだった。

これ以上の出費は抑えたいので、とりあえずサーフェスとの接続で映像を楽しんでみたいと考えている。

 

 

 

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化身と輪廻転生~ネパールの旅から~

2017年11月13日 | 日記・エッセイ・コラム

ネパールのヒンドゥ教の寺院に行き、英語の説明を聞いているとIncarnationという言葉をよく耳にする。

Incarnationとは化身のことである。たとえばネパールで一番古いチャンぐ・ナラヤン寺院に行くと「主神ナラヤン神はヴィシュヌ神の化身である」といった説明を受ける。

ヴィシュヌ神は「維持」を司る神で、ヒンドゥ教ではブラフマー神(創造)・シヴァ神(破壊)と並ぶ御三家である。ヒンドゥ教は神様が多い上、化身という形で違った形を示すので誠に分かり難い。

もっとも解説本によると「それは、それぞれの神や女神たちの多面的な性格や能力を個別に強調するための表現の多様性によるものである。信者は同じ一つの神を、それぞれの必要に応じて異なった名称と姿を拝むのである。」(「ヒンドゥー教ーインドの聖と俗」森本 達雄 中公新書)ということである。

私流の解釈をすれば、信者の願望が化身を生み出したということだろう。創造・維持・破壊(次の世界を作るために創造的破壊)という抽象的概念だけでは、日々の信仰の対象になり難い。そこで「その神の前でウソをつくとたちまち死んでしまう」というカーラ・バイラヴ(シヴァ神の化身)のような具体的な神様が必要になったのだろう。(写真はカーラ・バイラヴ)

ところでIncarnationに「再び」という意味のReという接頭辞が付き、Reincarnationとなると「輪廻転生」という意味になる。

Incarnationの元々の意味は「肉体を与える」ということだから「再び肉体を与える」⇒「再生する」ということで輪廻転生を意味すると私は考えている。

ヒンドゥ教や釈迦直伝の仏教では「輪廻転生」という概念は非常に重要だ。人は死んでも魂は必ず何かに生まれ変わる。良いことをした人は「天界」や「人間界」へ生まれ変わり、悪いことをした人はそれ以下の「畜生」「地獄」などに生まれ変わる。

魂は永遠だが、肉体は仮の乗り物なので重視しない。死体は極端にいうと蛇の抜け殻程度のものなので、火葬に付して骨はガンジス河に流してお仕舞である(当然墓はない)。

化身と輪廻転生の間に直接的な関係があるとヒンドゥ教徒が考えているかどうかは私には分からない。

しかしあらゆる生命の源は、多様な形をとってこの世にその姿を現すと考えると根っこでは共通するものがあると私は考えている。

ともすると我々は「個体の命」を生命と考える。しかし個体は死んでも子孫がいる限り遺伝子は持続する。我々の「個体の命」は太古に生命が生まれた時から綿々とつながる命の流れ(遺伝子の連続)の中の一つの「表現型」と考えるならば、命の流れの中の一つの「化身」ということもできるだろう。

★   ★   ★

カトマンズの街でカーラ・バイラヴに熱心にお詣りしている人に聞いてみた。

「あなた達は輪廻転生を信じているはずだ。従って死を恐れることはないと思う。何を神様にお祈りするのか?」

答はこうだった。「次の世で良い世界に生まれ変わるには、この世で良いことをしないといけない。そのためには長生きして功徳を積む必要がある。事故等で不慮の死を遂げると功徳を積むことができない。だから災難等で命を落とすことがないようお願いしている」

★   ★   ★

ヒンドゥ教の教えを迷信であると一笑に付す人は多いかもしれない。

だが大きな運命を絶対者に委ね、死を恐れず、しかも命を大切にするという生き方は、これから老境に入っていく我々に教えてくれる何かがあると私は考えている。

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