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専門家が哲学者の話を聞く意味~相続学会・研究大会から

2017年11月20日 | 相続

先週の金・土と一般社団法人 日本相続学会の研究大会が開催された。

初日の基調講演に登壇されたのは哲学者で中央大学理工学部准教授の寺本 剛先生。ご専門は「世代間倫理」で基調講演のテーマは「世代間倫理から相続を考える」というもの。

研究大会の参加者は、税理士・司法書士・保険会社営業マン・不動産会社営業マンなどで、相続対策を専門とする人が大半だ。

寺本先生の講演に対する参加者の感想についてアンケート集計はまだ見ていないが、概ね評価は高かったようだ。

「哲学者の話を始めて聞いて哲学に興味を持った」という意見を懇親会でも聞いた。哲学の何が専門家の気持ちを掴んだのだろうか?ということに興味が起きたのでちょっと考えてみた。

一般的に専門家と呼ばれる人は「ある程度頭が良くかつ勉強した人」と考えられている。司法試験を筆頭に何らかの国家試験に合格し、ある資格を取得することが専門家の必要条件だから、専門家になるには試験に合格するための勉強をする必要がある。そのためにはある程度頭が良くないといけないだろうと世間では考えられている。

だがここにちょっと落とし穴がある。私もある国家試験に合格したことがあるが、そこで試されたのは「法令や規範を丸覚えする暗記力」だったのだ。無論国家試験の種類によっては、既存のフレームワークを覚えるだけではなく、その応用力を問うものもあるが、概ね暗記力を問うものが多いと考えて良いだろう。

従って国家試験の合格者は、試験当日に暗記力を発揮できた人と言ってよい。ところでどうすれば暗記力を高めることができるかというと、私は「考える」ことを停止することにあると思っている。勉強時間や脳のキャパシティというリソースの配分問題を考えると「考える」ことに振り向ける資源を「覚える」ことに振り向けた方が試験に合格する可能性は高まる。

会社では「あいつは有名大学を卒業しているのに、役に立たない」という話を耳にすることがある。この話の前提には「有名大学を出ている人は役に立つ」という考え方があるので、butという接続詞が使われる。しかし「有名大学に合格するため、青春の一時期考えることを犠牲にして暗記することにリソースを振り向けたので、考える力が身についていない」と考えるとこの話は、thereforeという順接で捉えるのが正しいことになる。

この話を敷衍して、すべての専門家が暗記のために考える力を犠牲にしたという積りはない。本当に能力の高い人は、暗記と思考の双方にリソースを振り向けるだけの能力を持っているからである。

だがかなりの人は資格試験に合格するために、ある程度考えることを犠牲にし、さらに日々の仕事の中で法律知識などの専門知識を習得し、それを実務に当てはめることに時間を割いていると私は考えている。

それ故哲学者の講演が新鮮だったのだろう。

これは講師の寺本先生のご意見ではなく、私の意見だが、一般的に専門家はHowについては考え顧客に適切なアドバイスを与えるが、Whyを顧客と一緒に考える訓練ができていないと思われる。

相続問題についていうと「節税対策」等のHowについては適切なアドバイスはあるが、「なぜ節税をするのですか」という踏み込みは浅いのではないだろうか?仮に顧客の考え方が「子孫に財産を沢山残すため」というものであれば、更に「なぜ財産を残すのか?」と踏み込み、その答が「子孫の繁栄を願う」というものであったとしよう。

そこで「子孫の繁栄を願う」という目的には、賃貸資産を増やし節税策を取るという方法と、子孫に思い切った教育投資をするために生前贈与をするという二つの手段があることに気が付く。

哲学とはWhyを問い続ける学問、というのが私の理解だ。今専門家に求められるのはHowを達成する技術力のみならず、Whyを顧客に問い続けることで顧客の本当にニーズを探し出してあげる力ではないだろうか?

コメント
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