今政府は70歳までの就業機会に向けて動き始めている。働く意欲がある人に仕事の場を提供することは理念としては良いことであるが、意欲だけが空回りしてもemployarbility(雇用される能力)がないと雇う側や働く仲間の負担が増える。また本人も惨めな思いをする。
兼好法師は「だいたい五十歳になったら、社会的な仕事は全部やめてゆとりある時間を確保することが好感がもて理想的なのだ」(おほかたよろずの仕業はやめて、暇あるこそ、めやすくあらまほしけれ)と述べている。
同じ段落の中で兼好法師は「五十歳になっても玄人の域に達さない芸は止めた方が良い。老人が大勢の中に混じっているさまは不調和で見苦しい」とも書いている。
兼好法師が生きた鎌倉後期から室町時代初期にかけての平均年齢は24歳という説がある。平均年齢から考えると当時の50歳は現在の65歳~70歳と考える必要があるだろう。一方当時は幼児死亡率が高かったので平均寿命は短いが成人後の活躍年齢で見ると現在とあまり変わらないという見方もできる。
たとえば鎌倉時代の御家人の引退年齢が70歳だったといわれていることを見ると、兼好法師の50歳退職論は一種の早期退職論ということも言える。
技術革新がほとんどなかった兼好法師の時代と違い、現在は極めて技術革新の激しい時代だ。過去の経験はプラスにならないどころか、それにしがみ付くとマイナスになる。高齢者にとってemployabilityの確保が難しい時代なのだ。その意味では現在の方が高齢者にとって働き難い社会と言えないこともないだろう。
早期退職を勧めた兼好法師だが、法師自身は食べるに困らない資産と収入の道があったようだ。このことは機会があれば述べてみたい。
一定年齢を越えて働くにせよ、退職して好きなことをして暮らすにせよ、それなりの勉強と自己管理が必要なことは間違いない。そして求められるものは現在の方が兼好法師の時代より大きいかもしれない。