金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

徒然草を読む(15)~危険が去った後が危険

2020年05月30日 | 本と雑誌

緊急事態宣言の解除を受けて高尾山など近郊の山に少しづつ登山客が戻っているようだ。

私も6月に入ったら奥多摩の手ごろな山で足慣らしを始めたいと思っている。こんな時期登山に行って万一足でも挫いて救助隊の皆さんのお世話になるようなことがあると周りの人から何を言われるかわからないから、まずは手頃で歩きやすいところでしかも3密にならないところを選びたいと考えている。

しかし山の事故というのは必ずしも危険な場所で起きるものではない。難しい岩壁を登り終えた後の易しい下山路で滑落したなどという話は時々聞く。実際我々の仲間でも平坦な縦走路をスマートフォンを見ながら歩いていて石に躓き捻挫をしたということがあった。

危険な場所では神経を張り詰め注意しているからあまり事故は起きず、むしろその後の何でもない場所で注意が散漫になり事故を起こすということは意外にある。

徒然草第百九段「高名の木登り」の話はこのような危険が去った後の油断を戒めたものだ。この話は高校時代の古文の授業で教科書に載っていた記憶がある。高校生に無常の話をしても腹落ちしないだろうからこのような人生訓が手頃だったのだろう。

木登りの名人といわれた男が弟子を高い木に登らせ、枝を切らせていた。高いところで危険だと思われたときは何も言わず、軒の高さほどになったところで「過ちすな。心して降りよ」と言葉をかけた。

そこでこれ位の高さなら飛び降りても降りられるのになぜそんなことを言うの?と聞くと「過ちは、やすき所になりて、必ず仕(つかまつ)ることに候ふ」という答が返ってきた、という話だ。

緊急事態宣言の解除を受けて登山を再開する人は多いと思う。自宅に籠っていた時は運動不足で体が硬くなっているはずだ。特に我々シニア層は。少しづつ山に戻っていこうと思う。高名の木登りの話など思い起こして一見何でもないような場所でもいつもより慎重に歩きたいと考えている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする