今朝(5月27日)の読売新聞にテレワークでセクハラが問題になることがあるという記事がでていた。
おじさんがPCの操作などが分からなくて、在宅勤務している女子社員の家に電話をかけて聞くなどという行為が度を過ぎるとセクハラになる可能性があるらしい。ましてZoomやSlackなどを使ってビデオ電話をかけるなど言語道断であろう。ストレスがたまる中、女性とお話をしたくなる気持ちはわかるが、まず女性の気持ちになって考えてみたいものだ。
徒然草第三段には「恋はしてもよいががつがつしてはいけない」という話が載っている。
「よろずにいみじくとも、色好まざらむ男(おのこ)は、いとさうざうしく、玉の盃の当(そこ)なき心地ぞすべき」
どんなに他のことが素晴らしくても恋を知らない男は物足りない。玉でできた盃の底がぬけたようなものだ。
そして兼好法師は恋人たちを渡りあるいている人が実際は独り寝が多いのがなんとも面白いとつづけ最後は「ひたすらたはれたる方にはあらで、女(おんな)にたやすからず思われむこそ、あらまほしかるべきわざなれ」と結んでいる。
最後の文章の解釈は気になるところだ。
私が主に読んでいるビギナーズ・クラッシック徒然草(角川書店)では「やたら性欲の塊みたいに、がつがつすることもなく、女性にいつも好感を持たれるように節度をもって行動するのが、理想的である」と訳しているが、他の解釈もありそうだ。
「たはれたる」は「戯(たは)る」である。これは「みだらな行為をする。色恋にふける」「ふざける。たわむれる」「くだけた態度をとる」という意味だ。
「たやすからず」の部分はネットで調べてみると幾つかの解釈があった。「女性からみて扱いやすいと思われない」という解釈や「軽率でないとおもわれること」という解釈もあった。
以上を踏まえて私はこう訳することにした。「女性を好きになっても、すぐにちょっかいを出したりせず、女性から軽率な人と思われないことが理想的である」
自戒としたい、と思う。